動詞「なり(成り)」の他動表現の名詞化。「なり(成り)」の他動表現とは、たとえば「Aがさり(去り)」が、「さ」のS音の動感とA音の全感(情況動態たる全感)と活用語尾のR音の情況表現性によりAがそこから移動し自動表現となり、「Aをさり(避り)」が、「を」が目標を表現すれば、Aを移動させ他動表現となるように、「なり(成り)」が「な」の全的認了(「な(二人称)」「な(助・副)」の項)により自動表現にも他動表現にもなる。「事(こと)がなり」は自動表現ですが、他動表現たる動詞「なり(成り)」もある→「防人(さきもり)に発(た)たむ騒(さわ)きに家の妹(いむ)がなる(奈流)べきことを言はず来(き)ぬかも」(万4364:せわしさにまぎれ、やらなければいけない家のいろいろなことを言わずに来てしまった)。
「なり(業)」はその連用形名詞化。その名詞化の「なり」とは、成(な)らせること、行為全的に認了させること、何らかの仕事・事業、です。
「なりはひ(生業)」はこの他動表現による語であり、「成(な)り這(は)ひ」。この「なり(業)」の情況にあること(生業・職業)・もの。もの、とは、なされたなにかであり、農産物であれなんであれ、有形無形の生産物。
この語は形・態(成(な)った状態)・「身なり」の「なり」、ではない(その「なり」は自動表現)。
「ひさかたの天道(あまぢ)は遠しなほなほに家に帰りてなり(奈利)をしまさに」(万801:生業を、日常の堅実な仕事を、なさいなさいな。「しまさに(斯麻佐爾)」は、為(し)いまさむに、の「む」が無音化している。「いまし」は動詞につく尊敬表現(現状の歌の相手をではなく、まっとうに働く歌の相手を尊敬する)ですが、「む」は推想であり、「に」は動態を表現する助詞のそれ。たとえば、神社で祈る際「合格しますように」と祈ったりしますが、その文末にある「に」に同じ。想動態を「~に」で表現することによりそれが希求の表現となり、その希求が相手に伝われば勧めとなる。この歌は、なんらかの宗教にでも没頭しているのか、家族の生活をかえりみない者を戒めた万800に添えられている歌)。
「荒雄らは妻子(めこ)の産業(なり)をば思はずろ年の八年(やとせ)を待てど来まさず」(万3865)。