◎「なやみ(悩み)」(動詞)
「なえやみ(萎え病み)」。「なえ(萎え)」「やみ(病み)」はそれぞれの項。「なえ(萎え)」は、自己を構成する構成力が空虚となり動態の活性力も衰化してしまったように不安定な動揺したものになること、であり、「やみ(病み)」は、安定感の失われた、不安定な、複雑動態情況、絡み合い混乱し、自分でもほぐし当たり前の健全な動態情況、とりわけ自己の身体たる生体情況、になすことができない情況、になること、ですが、「なえやみ(萎え病み)→なやみ」は、ようするに、そうした状態になること。病態にあったり、通常の(健全な)状態が喪失し壊れていくような情況(苦労する困難な情況、そこで生じるのが物的苦痛であっても心痛であっても)にあったりしそれが自己処理できない。自然発生的な身体情況にかんしてのみではなく、ものごとに対する対応困難にかんしても言う。後世では判断が完全に成立しないことの表現に用いられることが多い(「なやましい」も、思いが乱れる、のような意で言われる)ですが、元来は、完全な判断が成立しないだけでは「なやみ(悩み)」ではない。
「皇后(きさき)、懷姙開胎(みこあれま)さむとする日に、禁中(みやのうち)に巡行(おはしま)して、諸司(つかさつかさ)を監察(み)たまふ、馬官(うまのつかさ)に至(いた)りたまひて、乃(すなは)ち廐(うまや)の戸(と)に當(あた)りて、不勞(なや)みたまはずして忽(たちまち)に産(あ)れませり」(『日本書紀』:出産の苦しみや困難なく。これは聖徳太子が生まれた際の話)。
「院の御悩み、神無月になりては、いと重くおはします」(『源氏物語』:重体になった)。
「わたつみの 畏き道を 安けくも なくなやみ(奈夜美)来て…」(万3694:旅路が困難なものだった)。
「…金(くがね)かも たのしけく(多能之気久)あらむと 思ほして 下悩ますに(したなやますに:之多奈夜麻須尓)…」(万4094:「たのしけく(多能之気久)」にかんしては「たしけく」の項(下記))。
「いぶせくも心にものを悩むかなやよやいかにと問ふ人もなみ」(『源氏物語』:どうしたらよいかわからない)。
「やごとなき若衆の銀(しろがね)の毛貫(けぬき)片手に左の人さし指に有(ある)かなきかのとげの立(たち)けるも心にかゝると暮方(くれかた)の障子をひらき身をなやみおはしけるを母人(ははひと)見かね給ひ、ぬきまいらせんとその毛貫(けぬき)を取(とり)て暫(しばらく)なやみ給へとも老眼のさだかならず見付(つく)る事かたくて…」(「浮世草子」『好色五人女』)。
「まだ正味は銭(ぜに)かます(※)。かさ高いは銑銭(づくせん(※))じやな。手あらふ(手荒く)なやむな、つい破(われ)るぞ」(「浄瑠璃」『源頼家源実朝鎌倉三代記』:「銭(ぜに)かます」は、銭袋、の意。金(かね)は銭袋の中だ。かさばってるのは銑銭(づくせん:鉄の一文銭)だからだ。「なやむ」は、いぢるようにあれこれ考えながら扱うこと)。
「戸をひきなやむ」(引き戸が思うようにすべり動かず苦労する)。
※「かます(叺)」は「かはめやす(皮目安)」か。皮(表面を覆うもの)が大きさ(内容量)の目安(めやす:見た目で、それでよい、となること)になるもの、の意。これは筵(むしろ)などを二つ折にし左右両端を閉じ、袋状にしたものであり、米・豆その他などを入れる。皮(かは)とはその表面になる袋状部分であり、それにより大きさ(内容量)が変るということである。米など専用に作られた俵(たはら)のように大きさが一定していない。それに形の似た、銭(ぜに)など入れる小袋も「かます」と言い、「ぜにかます(銭かます)」と言ったりする。「綿(わた)二(ふた)褁(かます)賜ふ」(『日本書紀』孝徳天皇五年三月)。
※「づく(銑)」は「ぢふきゆ(地吹き湯)」か。地金(ぢがね)として吹(ふ)く湯(ゆ)、の意であり、「ふき(吹き)」は鞴(ふいご)に由来し金属の精錬を意味し、「ゆ(湯)」は、加熱され溶解した金属をそう表現する。地金(ぢがね)として吹(ふ)く湯(ゆ)、とはどういう意味かというと、それは「ゆ(湯)」であり、それが自然冷却し固まったものなのであるが、それは、地金として吹き、精錬する「ゆ(湯)」なのである。後世では、鉄のそれは、「センテツ(銑鉄)」という。「づくせん(銑銭)」は、江戸時代の、その「づく」そのものによる、鉄の、小額貨幣。質も粗悪であり、すぐに錆び、毀れる。
◎「たしけし」(形ク)
「たしけし」というク活用の形容詞があると辞書に書かれている。意味は確かであったり欠乏したりしていることだという。これは『万葉集』歌番4094にある「金(くがね)かもたしけく有らむと思ほして」が根拠になっているようです。しかし、この「たしけく」の原文(西本願寺本)は「多能之気久」であり、これが「たのしけく(楽しけく)」では歌意が異様なものになるので「能」を衍字と見て外し「たしけく」にしたということでしょう。原文の「多能之気久安良牟登(たのしけくあらむと)」は、「たねほしくへけふあらむと(種(材料)欲しく経今日有らむと)」ということでしょう(「くへけふ」が「けく」になっている(少なくとも、そう表記されている))。今日こそはあるだろうと待ち望んでいたということです。何かになる材料を「たね(種)」と表現することは『古事記』の歌にもある。これは(聖武天皇による)大仏建立に関連した歌であり、そこで用いる金が足りないことを悩んでいたそのとき陸奥(みちのく)から金が出たという歌です。
◎「なやめ(悩め)」(動詞)
「なやみ(悩み)」(その項)の他動表現。悩(なや)み、の状態にすること。
「『あゝ、思ひつけた。いかう路次で出家をとらまへて、悩めたが…』」(『狂言記』「惡坊」:酔って僧にからんだ)。