「なみとは(な見とは)」。古代には「なみた」という清音表現があった。「なみ(な見)」は、見ることの柔らかな禁止表現(→「な(助・副)」の項)。女性的な柔らかな禁止の表現です。まるで視界を覆うように、何かを見せまいとするかのように、目に溢れてくる。それが、まるで何ものかが、見てはなりませんよ、と目を覆っているような思いがしたわけです。「なみとは(な見とは)」とは、「な見(なみ)」に対する、見ることへの柔らかな禁止に対する、単なる提示による、柔らかな抗議、告発です。見てはならないとはどういうことなのだ、という抗議です。すなわち、たとえば、最愛の人、たとえば幼い我が子、や、限りなく美しい風景、それをもっと良く、もっと長く見ていたいのに、目を覆ってしまうとは…、あるいは、見てはなりませんよ、と何ものかが目を覆ってしまうほどこんなひどい世の中であるとは…という抗議です。そういう思いをいだかせるもの、いうことです。
「妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙(なみた:那美多)いまだ干(ひ)なくに」(万798:亡くなった妻を思った歌)。
「…ま幸くて 早(はや)還(かへ)り来(こ)と 真袖(まそで)もち 涙(なみだ:奈美太)を拭(のご)ひ むせひつつ 言問ひすれば…」(万4398:これは大伴家持による防人の歌)。
「…ちちの実の 父の命(みこと)は たくづの(栲綱)の 白髭(しらひげ)の上ゆ 涙(なみだ:奈美太)垂り 嘆きのたばく(のたまはく)…」(万4408:これも大伴家持による防人の歌)。
「涕涙 …………和名奈美太 目汁也」(『和名類聚鈔』:『類聚名義抄』では「ナミタ」の横に「ナムタ」とも書かれ、「タ」には濁点符号が有る場合と無い場合がある。たとえば「泗」には有り「泣」には無い。「ナムタ」にかんしては「なみふた(な見蓋)」という語があったのかもしれませんが、一般化していない)。