「なほ(直・尚)」の語源(1) (2月4日)から続く
 

「なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総(ふさ)の国との中に…」(『伊勢物語』:「行(ゆ)く」という動態作用下にありつ行(ゆ)く)。
「しをりせし(じ)なほ山ふかくわけいらんうきこときかぬ所ありやと」(『山家集』:「しをり」(帰路のめじるしとして枝を折って進む)をせず、山ふかくわけ入るという動態作用下にありつつ山ふかくわけ入る)。
「大路(おほぢ)より東へ入る事一町余(いつちやうよ)、玄円(げんゑん)律師(りつし)・実済(じつせい)得業(とくごふ)が墓のなほ東、曲(ゆが)める松の下に新しきこそそそれなりけれ」 (『保元物語』「左大臣殿御死骸実検の事」:東へ向かう動態がありつつ東)。
「年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり」(『徒然草』:年月がたち、わづらはしくあるという動態作用下にありつつわづらはしくなり。これは、さらに、という意味になる)。
「ほほ笑みて、なほあるを、良しとも悪しとも(言葉に)かけたまはず(言葉にださない)」(『源氏物語』:この「なほあるを→ねはふを(音這ふを)あるを」は、音(ね)が聞こえてはいつつ(言葉に出さない)、ということ)。
「…お知らせは以上です。なほ、前回お知らせした販売は売り切れ終了となっておりますのでご了承ください」(これは文法で「接続詞」と言われる「なほ」であるが、ある音(ね)が聞こえ、それをふまえさらに、ということ)。

「紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるばみ)のなれにし衣(きぬ)になほ若(し)かめやも」(万4109:「橡(つるばみ)のなれにし衣(きぬ)」がよいという音(ね)が聞こえ、そこに紅(くれなゐ)に誘う音(ね)が聞こえ、それでも、やはり、ということ)。
「旅衣八重着重ねて寝ぬれどもなほ肌寒し妹にしあらねば」(万4351:衣を八重もかさねれば暖かいのではという音(ね)聞こえ、それでも、やはり。これは防人の歌)。
「問難皆荅(こた)ふること若(ナホ)泉流のごとし」(『守護国界主陀羅尼経』平安初期点:答えが滞らないという常態作用化にありつつ、問難に一般には滞る、という思いがわきつつそれでも「なほ」)。
「和歌こそ、なほをかしきものなれ」(『徒然草』:和歌はをかしきもの(心惹かれるもの)、という常態があり、そこに、平凡なつまらないもの、と思っている人もいるかもしれないが、という思いもわき、「なほ」(音(ね)這(は)ふを)、というこの「なほ」は、やはり、のような意味になる)。 
「『この度(たび)は、なほ、かぎりなり』と、おぼしめしたり」(『源氏物語』:生きつづけるという思いもわくが、それでもやはり、人間は誰しもそうある常態で)。
「敷皮の上に居直て、辞世の頌を書給ふ。五蘊仮成形。四大今帰空。将首当白刃。截断一陣風。年号月日の下に名字を書付て、筆を閣(お)き給へば、切手(きりて)後へ回るとぞ見へし、御首は敷皮の上に落て質(むくろ:首が切り落された体のみ)は尚(なほ)坐せるが如し」(『太平記』:崩れるようにも思われそうだが、そのまま)。
「常盤(ときは)は今年二十三、……………そのむかしにはあらねども、うちしほれたるさま、なほよのつねにはすぐれたりければ(それほど美しいということ)…」(『平治物語』「常盤六波羅に參る事」:そうではないのではないか、という思いがわきつつ、それでも、やはり、ということ)。
「我が身の歎(なげ)きを数へんには、川原の石は尽(つ)くるとも、猶(なほ)何(いか)ばかりか積(つも)らまし」(『保元物語』「為義の北の方身を投げたまふ事」:嘆きは、河原の石は尽きるという、歎きを数え終えるに十分そうな動態がありつつ、それでも)。
「越鳥(ゑつてう)南枝(なんし)に巣(す)をくひ、胡馬(こば)北風(ほくふう)に嘶(いば)ふ。畜類(ちくるい)猶(なほ)故郷の名残を惜しむ。いかに況(いはん)や、人間においてをや」(『平治物語』「頼朝遠流の事」:畜類という、名残を惜しむことなどないようなものでありつつ、それでも)。