◎「なへ(苗)」
「ねははへ(根葉葉経)」。根や、葉が持続的に(何枚も)経過する(発生経過する)状態であること。根や葉が安定して発生しのびる状態になっているもの、ということです。この状態は植物の生育として常態なわけですが、なぜそれが特別に意識されそれを表現する名が生まれているのかというと、一見、単なる小さな粒の、種(たね)がそうなったからです。つまり、植物の、種(たね)が発芽し、成長し、自立生長可能と認められる状態になったもの。それが「ねははへ(根葉葉経)→なへ」。その意味で、自立生長可能と認められる個体や部分はすべて「なへ」になりうるわけですが、歴史的には、事実上、もっとも生活に身近で密接な、稲(いね)のそれが「なへ」と呼ばれることがもっとも一般的であり、「なへ」とはそれのこと、という印象にさえなっている。仮名表記は一般に「なへ」ですが、極めてまれに「なゑ」もある。
「春がすみ春日(かすが)の里の植子水葱(うゑこなぎ)苗(なへ)なりと言ひし枝(え)はさしにけむ」(万407:この「さし」は発生すること)。
「三島菅(みしますげ)いまだ苗(なへ)なり時待たば着ずやなりなむ三島菅笠」(万2836)。
「上つ毛野(かみつけの)佐野(さの:群馬県高崎市)田の苗(なへ:奈倍)の武良奈倍(むらなへ)に事は定めつ今はいかにせも」(万3418:この歌、「むらなへ(武良奈倍)」とはなにかにかんし議論があるわけですが、これは「群苗(むらなへ):群れとしてしっかりと一体化したような苗」でしょう。それにことは定まった、とは、苗(なへ)は稲(いね)になる。「稲(いね、いな」→「否(いな」ということ。「いかにせも」は「いかにせむ」であり、もうどうにもならない、ということ。つまり、歌全体の歌意は、このお話はきっぱりお断りします、や、あなたとは別れさせていただきます、ということ。たぶん、女から男への歌であり、男がふられたのでしょう)。
「既になゑをすゑ、あせ(畔)をぬり…」(『上久世庄下作人等申状』大日本古文書 文書番号217 6巻266頁)。
◎「なへ」
「にあへ(~に合へ)」。~に合わせ、~とともに、~と同時に、~につれ、の意。「~なへに」とも言う。
「今朝(けさ)の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)寒く聞きしなへ(奈倍)野辺の浅茅(あさぢ)ぞ色づきにける」(万1540)。
「雲の上に鳴きつる雁の寒きなへ(苗)萩の下葉はもみちぬるかも」(万1575:「もみち(紅葉ち)」は動詞)。
「秋風の寒く吹くなへ(奈倍)我が宿の浅茅が本にこほろぎ鳴くも」(万2158)。
「桜花今盛りなり難波の海おしてる宮に聞こしめすなへ(奈倍)」(万4361:「おしてる」は地名「なには(難波)」の枕詞ですが(その項)、これが、押し照る、のようにもちいられ、海のようにひろがる、のような表現になっている。この「きこしめす」は、原意としては、効果を発揮させる、のような意ですが、ようするに、世を治める(その尊敬表現)、ということ)。
「鴬の音(おと:於登)聞くなへ(奈倍)に梅の花我家(わぎへ)の園(その)に咲きて散る見ゆ」(万841)。