「ぬやむにふり(「ぬ」や「む」に振り)」。なむんふり、のような音(オン)を経、「なぶり」になる。「ぬ」は否定の助動詞のそれ。「む」は意思動態を表現する助動詞のそれ。「ふり(振り)」は、この場合は、なにかを動揺させる状態にすること。「ぬやむにふり(「ぬ」や「む」に振り)→なぶり」、否定や意思動態に振(ふ)り、とは、なにごとかを否定し、そうしないような思いにさせたりそうするような思いにさせたりし動揺させること。相手は動揺し困惑する。相手の意思や思いへの配慮など喪失した状態で相手になにごとかをすること、し続けること、も、言う。人に対しそうし人をなぶることがもっとも一般的ですが、たとえば髪先などを弄(いぢ)るような弄(いぢ)らないような動態で弄(もてあそ)びつづけることなども「(髪を)なぶり」と言う。「嬲(ナウ)」の字は、整わず乱れ心労するような状態になることを意味する。「悩り」と書いた方が意味としてはわかりやすいかもしれない。
「わが子は十餘(じふよ)になりぬらん 巫(かうなぎ)してこそ歩(あり)くなれ 田子(たご)の浦(うら)に潮(しほ)踏むと いかに海人(あまびと)集(つど)ふらん 正(まさ)しとて 問(と)ひみ問(と)はずみなぶるらん いとほしや」(『梁塵秘抄』:私の子(女の子)はもう十いくつかになっただろう。巫(かんなぎ)をして歩いているそうだ。「巫(かんなぎ)」は、原意は巫女(みこ)ですが、神意を伝える占いのようなことをやって生活し諸国を放浪する者もそう言われた。その子が、海人(あまびと:荒くれたような者もいる男たちであす)のいる地へいけば、それが集まり、巫(かんなぎ)が正(まさ)しきものであったとしても(神意を伝える本物であったとしても)、なにかを問うたり、問わなかったり。男たちにからかうようになぶられつづけるだろう。胸がいたむ…)。
「『こなたは算置を呼ふで、算は置せうではなくて、なぶらせらるゝと申物でござる』」(「狂言」『ゐぐひ(居杭)』:「算を置く」はこの場合は占いをすること)。
「壯(をとこ)(女のいる所へ)強ひて入り嬲(なぶ)る」(『日本霊異記』:女を妻にと思っている男が、媒(なかひと:なかだちになる人)にまかせることをやめ、直接、家へ行き、強引に説得し承知させた)。
「忝(かたじけな)き御心入といへばくらまぎれに前髪をなぶりて…」(「浮世草子」『好色五人女』)。