「のあていひしをみひく(野当て言ひしを見引く)」。音(オン)は、「のあ」が「な」、「ていひ」が「つ」、「しを」が「そ」、「みひ」が「び」ということ。意味は、野(の)にあてて、無人の野にあてて(自然に向かって)、言ったことを、見(み)て(現実を前にして)、引いてしまう(自己の内へひっこめてしまう)、ということ。これは枕詞であり、この表現が「うな」にかかる。かかり方は、「~ひく→うな」→「ひくな(引くな)」ということ。「な」は禁止。大いなる自然に向かって言った言葉のままに進め、それを裏切るな、ということ。「命(いのち)かたまけ」(命をそこにひたすらそそぎ)にもかかりますが、そのように、引かずに進む、ということ。表記は「夏麻引」とも書かれますが、これは、暑い太陽のもとで苦労しても、それにより暖かな冬になるといった意味もあるのでしょう。
「なつそびく(奈都素妣久)海上潟(うなかみがた)の沖つ洲に舟は留(とど)めむさ夜更けにけり」(万3348:「海上潟(うなかみがた)」は現・千葉県市原市(旧上総の国海上郡)付近の干潟と言われる。この歌は下記・万1176と三句まで同じであり、慣用的な表現が背景にあるのかもしれない。歌意は、安住の地としてたよりなさそうな洲だが、あなたの言葉を信じて私はそこに舟をとどめた…、ということ。つまり、言葉を裏切らないで、ということ)。
「なつそびく(奈都蘇妣久)宇奈比(うなひ)をさして飛ぶ鳥の至(いた)らむとぞよ吾(あ:阿)が下(した)延(は)へし」(万3381:「うなひ(宇奈比)」は、海(うな)日(ひ)、か。「伊多良武等曽与阿我之多波倍思(あがしたはへし:吾が下延へし)」は、表現が倒置になっている。いわゆる、ぞ→動詞などの連体形、の係り結び。言っていることは、下延へたのは(人知れず私の心に浮かんだのは)海日(うなひ)を指(さ)して飛ぶ鳥は(日に)いたるということだ、ということ。これはうまくいくぞ、ということなのか、そういう決意と自信で私はことにのぞんでいる、という意味なのか、それはわからない)。
「なつそびく(夏麻引)海上滷(うなかみがた)の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず(音文不爲)」(万1176:最後の「音文不爲」の「音」は一般に「おと」と読まれていますが、これは「ね」であり、音(ね)と寝(ね)がかかっているのでしょう。こんなに覚悟をきめて進んでいるのに「ね」もない、ということ。「夏麻引」というこの表記はこれの影響により、「なつそびく」は夏に麻(あさ)を引くことだ、と解され、その畑には畝(うね)があるから「うな」にかかる、などと言われたりもする。それにどういう意味があるのかはよくわからない)。
「…なつそびく(夏麻引)命(いのち)かたまけ 刈り薦(こも)の 心もしのに 人知れず もとなぞ恋ふる 息の緒にして」(万3255)。