「なあとつき(名跡付き)」。「なあと(名跡)」は「な(名)」の痕跡であり、記憶であり、記憶影響です。「つき(付き)」では思念が活性化している(→「つき(付き)」の項)。つまり、「なづき(脳)」は記憶、記憶影響が活性化する・している、もの・身体(内臓)部位、の意。
この「なづき(脳)」は、「ナウ(脳)」(「ナウ」は呉音)の和語ですが、特に問題になるのは、「な(名)」は「ねあ(音吾・値吾)」、音響影響たる吾(あ)、意味・価値作用ある響きたる吾(あ)、言葉たる吾(あ)、言語たる吾(あ)、であり、その「あと(跡)」が「つく(付く)」(活性化する→「つき(付き)」の項)とは、言語たる私の活性化するところ、という意味であり、すなわち「なづき(脳)」は言語が活性化する器官という意味になる。言語作用を分析し自覚的にそのように名付けられたわけではないでしょうけれど、そういう意味になる。
のちには、俗用として、人格を意味して頭部を言うような語にもなる。
「髄脳 上須年(すね) 下奈豆枝(なづき)」(『新訳華厳経音義私記』:書かれている字は「枝」に見える。「技」の誤字か。それとも「支」の音(オン)は「キ」ということか)。
「脳 説文云脳 奴道反 作𦠊 和名奈豆岐 頭中髄脳也」(『和名類聚鈔』)。
「𦛁 ナウ 俗ナツキ」(『色葉字類抄』:「ナ」の「人躰」の部)。
「脳 ナヅキ」 (『小篆増字 和玉篇』(1709年))。
「六部『………ヤレ扨(さて)人といふもなアはあ、運がなくちやア、もちあげべいにも、あん(何)としてなづき(頭)やアあがり申さない』」(「滑稽本」『東海道中膝栗毛』:「六部」は元来は「六十六部」(ある種の行脚僧)の略称ですが、のちには、似たような姿をした乞食者の呼称にもなる)。