「なしそへ(成し沿へ)」と「なしそへ(成し添へ)」がある。「なし(成し)」は全的・完成的に認了される状態にすることですが、「そへ(沿へ)」は、動態を他のなにかの影響下になすこと。「そへ(添へ)」は、社会的関係として、同居関係にすること。「なし(成し)」(1月3日)「そへ(沿へ)」(2023年8月18日、12日)「そへ(添へ)」(2023年8月18日、12日)はそれぞれその項。
「Aになしそへ(成し沿へ)→Aになぞへ」は、なにかをAに全的・完成的に認了される状態にしその動態(存在のあり方)をその影響下になすこと(「そ」は甲類表記になる)。
「Aになしそへ(成し添へ)→Aになぞへ」は、なにかをAに全的・完成的に認了される状態にしそれと社会的関係として、同居関係にすること(「そ」は乙類表記になる)。
古くは「なそへ」と清音。「Aになずらへ・なぞらへ」に意味は似ているわけですが、「なずらへ・なぞらへ」の方が印象評価は緻密になっている。
「我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへ(名蘇經)つつ見む」(万1448:「蘇(ソ)」は甲類表記。大伴家持が妻となる坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に送った歌。いつしか花となって咲いているでしょう。あなたのかわりに、あなただとおもって、見ましょう、のような歌)。
「霍公鳥(ほととぎす)こよ鳴き渡れ燈火(ともしび)を月夜(つくよ)になそへ(奈蘇倍)その影も見む」(万4054:「蘇(ソ)」は甲類表記。大伴家持の宴席での歌)。
「久方の天(あま)照る月の隠りなば何になそへ(名副)て妹を偲はむ」(万2463:これは「そへ(添へ)」であり、仮名で書けば乙類表記でしょう)。
「うるはしみ吾(あ)が思(も)ふ君はなでしこが花になそへ(奈曾倍)て見れど飽かぬかも」(万4451:「曾(ソ)」は乙類表記。大伴家持による宴席での歌。あなたを花と見て飽くことがない。「かも」は詠嘆)。
「あふなあふな思ひはすべしなぞへなく高き卑しき苦しかりけり」(『伊勢物語』:『合(あ)ふ値(ね:価値)は合(あ)ふ荷(に)』な思ひはする。人それぞれだ。全くそうだ(しかし…)。たとえようなく(それと並ぶこととして並ぶものなどなく、それに相当しそれに見合う何かなどなく)、高きと卑しきとは希望の無いものだ(どんなに努力をしても、どれほどの負担・努力・苦労を負っても、手のとどかないことがある):この『伊勢物語』の歌は「身のいやしい」男が「いとになき(いと似なき)人」に思いをかけた歌だそうです。身分や貧富であれ美醜であれ、まったく不釣り合いな人に思いをかけたということでしょう)。