◎「なし(梨)」
「ねははし(音這はし)」。「ははし(這はし)」は「はひ(這ひ)」の使役型他動表現。周囲になにかを感じさせる情況にすること。これはある種の木の実の名ですが、誰に音(ね)を這ふことをさせるのかというと、それを齧(かぢ)った人。つまり、食べた人。その実の石細胞による食感(歯ごたえ)により、シャキシャキと周囲に音(ね)を発している印象がある。その特徴的印象による名。樹木性植物の一種、そしてその実、の名。
「詔(みことのり)して、天下(あめのした)をして、桑(くは)・紵(からむし)・梨(なし)・栗(くり)・蕪菁(あをな)等(ら)の草木(くさき)を勸(すす)め殖(う)ゑしむ。以(これをも)て五穀(いつつのたなつもの)を助(たす)くとなり」(『日本書紀』)。
「梨子 ………和名奈之」(『和名類聚鈔』)。
「つぎつぎの殿上人は、簀(す)の子に円座(わらふだ)めして、わざとなく、椿餅(つばいもちひ)、梨(なし)、柑子(かうじ)やうのものども、さまざまに、箱の蓋どもにとりまぜつつあるを、若き人びと、そぼれ(堅苦しさなくくだけた様子で)取り食ふ」(『源氏物語』)。

◎「なし(成し)」(動詞)
N音の認了感とA音の全感により完了的完成感を表現する「な」による動詞。客観的完成感は形成感でもある。「N音の語音性」にかんしては「な(二人称)」の項(2024年12月7日)。「Aをなす」という表現も「AをBに(Bと)なす」という表現もある。「Aを」→「仕事を成し遂げ」「荒山中に海をなす」。「AをBに(Bと)」→「水沼(みぬま)を都となし」。ある動態で形成感を生じさせることも表現する→「見なす」。完了的完成が起こるなにかはものもあれば(「産物は山をなし」)、こともある(「群れをなして移動する」)。人間さえもあり、子を生むことを「子をなす」と表現したりもする。
「大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも」(万241:Aをなす)。
「(竹取の翁は「娘(かぐや姫)を私に」と言ってきた人々に)『をのがなさぬ子なれば。心にも隨(したが)はずなんある』と云て月日を過す」(『竹取物語』:これは、私が生んだ子ではない、のような意)。
「無益(むやく)なことをなして時を移すをおろかなる人とも僻事(ひがごと:情報の受容に病みのあること)する人ともいふべし」(『徒然草』:ことをなす)。
「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都と成しつ」(万4261:AをBとなす)。
「夜になして京には入らむとおもへば…」(『土佐日記』:夜になったら京へ入ろうと思っているので、ということ)。
「職員令には太政大臣にはおぼろけの人はなすべからず。もしそれなくばたゞにおかるべしとこそありければ…」(『大鏡』:地位につける)。
「願楽といふは解かむと希(ねが)ふ意を爲(な)すぞ」(『法華経玄賛』:こと(願楽)がこと(希(ねが)ふ意)をなす)。
「貸(か)る時の地蔵顔、なす時の閻魔顔」(『八句連歌(はちくれんが)』:この「なす」は債務の返済なのですが、なにを「なす」のかというと、算用・(利息だのなんだのの)計算、清算、をなす)。

◎「なし(鳴し)」(動詞)
「なり(鳴り)」の他動表現。音響を発すること。
「(竹を)笛につくり吹きなす」(『日本書紀』歌謡97)。
「畫(かき)鳴 訓鳴云那志」(『古事記』:「畫(カク)」の字には、考えをめぐらす、や、かぎりをつける(界をわかつ)、といった意味がある。これは「伊邪那岐命(いざなきのみこと)」「伊邪那美命(いざなみのみこと)」により「淤能碁呂嶋(をのごろじま)」がうまれる際の表現)。