◎「なごやか(和やか)」
「なご(和)」は形容詞「なごし(和し)」の語幹(その項・2024年12月31日)。「やか」は「さはやか(爽やか)」「すこやか(健やか)」その他にある「やか」(その項)。非常に「なぎ(和ぎ)」であることの感銘表現。この語は、後世では、争いや険悪な雰囲気無く、といった意味で言われますが、平安時代などでは、より深く大きな平準感・均質感を感じさせる表現になっている。
「女ノ衆ハ窈(ミヤ)ビタル窕(ナ古ヤカ)ナル形ヲ現スト雖モ、丈夫ノ志ヲ興シ…」(『東大寺風誦文稿』:「窕(テウ)」は『説文』に「深肆極也」とされる字。「肆(シ)」は、なんの制限も条件もない、というような意)。
「『……よそにても、思ひだにおこせたまはば、袖の氷も解けなむかし』など、なごやかに言ひゐたまへり」(『源氏物語』)。

◎「なごや(和)」
「なごやは(和柔)」。「や」の無音化。「なご(和)」は形容詞「なごし(和し)」の語幹(その項)、「やは(柔)」はその項。(自己と)均質化し抵抗が希薄であること。
「蒸衾(むしぶすま)なごや(奈胡也)が下に臥(ふ)せれども妹とし宿(ね)ねば肌し寒しも」(万524)。
「乎可尓与西 和我可流加夜能 佐祢加夜能 麻許等奈其夜波 祢呂等敝奈香母(をかによせ わがかるかやの さねかやの まことなごやは ねろとへなかも)」(3499:この歌は、特に最終句が、未詳、とされる。これは東国の歌。「をかによせ」は、丘に寄せ。丘(をか)という場所に寄せるのではない。丘(をか)の状態に寄せる。つまり、刈った草(かや)を小山のような状態にする。「さねかや」は、さ寝(ね)草(かや)。「さ」は動態情況にあることを表現する。寝(ね)るための草(かや)。寝具用の草(かや)。この語は、さ根(ね)草(かや)・根のついたままの草(かや)、とも言われますが、寝具用に引き抜いて根のついたままの草をわざわざ用意することはありえない。「なごやは」は、和柔 (なごやは)。和(なご)やかで柔(やは)らかだ、ということ。「ねろとへなかも」は、「ね」は「根(ね)」であり「寝(ね)」もかかり、「ろ」は「伊香保ろ」(万3435)、「嶺(ね)ろ」(万3511)、「大野(おほの)ろ」(万3520)、「鳴瀬(なるせ)ろ」(万3548)などにある「ろ」であり、直接限定的に何かを表現することをさけ、そのあたり、のような意味になる(→「ろ」の項)。「と」は思念的・想的になにかを確認する助詞のそれ。「へ」は目標感のある方向を表現する助詞のそれ。「なか」は、中(なか)。真奥最終部域。最後の「も」は感嘆。すなわち、「ねろとへなかも」は、「ね根(寝)」の世界とへ…(そして)中(なか:その世界の最深奥部)だ…、ということ。つまり、私の草(かや)の寝床は天国だ、ということであり、技法としては「寝(ね)」と「根(ね)」がかかっている。なぜこんな歌が歌われたのかにかんしては、だから寝にこないか、と女に言った可能性はある)。

◎「なごり(名残)」
「なぎおほり(薙ぎ生ほり)」。  「なぎ(薙ぎ)」は何かを全体的に平均化する印象の行為をすること(2024年12月23日)であり、「おほり(生ほり)」は「おほし(生ほし)」(その項・2020年11月23日)の自動表現。意味は、発生し存在化すること。「なぐれ(なぎふれ(薙ぎ振れ)」(その項・2024年12月28日)の場合、ある流れに対し横様へ遊離・離脱し、残り物、といった意味にもなったりするわけですが、「なぎおほり(薙ぎ生ほり)→なごり」の場合、その流れたる事象や動態によりその横様に何かが生まれ、そこにある状態になり、その流れ自体は去っていく。たとえばその事象が季節たる春の進行であれば、それにより発生しそこにあり、春が去ってもそこにあり、それは「春のなごり」となり、春ではないが、それは春にあるような思いにさせる。
「夕されば(夕になれば)君来まさむと待ちし夜のなごり(名凝)ぞ今も寐ねかてにする」(万2588)。
「臥(ふ)し給へれど、まどろまれず。名残恋しくて…」(『源氏物語』)。
「名児(なご)の海の朝明(あさけ)のなごり(奈凝)今日もかも磯の浦廻(うらみ)に乱れてあるらむ」(万1155)。
「二十余日、いと重くわづらひたまひつれど、ことなる名残のこらず、おこたる(病がおさまった)さまに見えたまふ」(『源氏物語』)。
「『かたじけなくとも(そんなことを言えるほどの者ではありませんが)、昔の御なごりにおぼしなずらへて(亡きお母様のなごりと思い)、気遠からでもてなさせ給はば(遠くからでもそのように扱い対応していただければ)なん、本意なる心地すべき』」(『源氏物語』)。
「尚侍(ないしのかみ)、六の女御など聞えし御名残も見え聞え給はぬに、男君たちは…」(『栄花物語』:これは、子孫・末裔の意)。
なにかが「なごり」になるということは、それを生んだなにかは去っていくということ、それが人であればその人と別れることを意味する。
「これも仁和寺の法師。童の法師にならむとする名残とて、各遊ぶことありけるに…」(『徒然草』:その遊びで鼎(かなへ)を頭部にかぶって舞い、抜けなくなった、という話)。
「『己(おれ)もさて。一期の名残ぢやと思うて、清水へ參つて見つけられた』」(「武悪」『狂言記』)。