◎「なげ(投げ)」(動詞)
「なくいいえ(無く射癒え)」。何かが無くなる(喪失する)状態にそれを射(い:発進させ)安堵すること。「石をなげ」「身をなげうち」。
「時(とき)に、道(みち)の邊(ほとり)大(おほ)きなる桃(もも)の樹(き)有(あ)り、故(かれ)伊弉諾尊(いざなきのみこと)、其(そ)の樹(き)の下(もと)に隱(かく)れて、因(よ)りて其(そ)の實(み)を採(と)りて、雷(いかづち)に擲(な)げしかば、雷等(いかづちども)、皆(みな)退走(しりぞ)きぬ」(『日本書紀』)。
「『…にはかに消え失せにけるを、身投げたるなめりとてこそ(きっと身をなげたのだろうと)、乳母などやうの人どもは、泣き惑ひはべりけれ』」(『源氏物語』:これは自殺)。
「財産を投げ棄(う)ち」。「投げ捨てる」。「(仕事を)投げ出す」。「投げやりな仕事」。
◎「なげき(嘆き)」(動詞)
「ながあへゆく(汝が吾へ行く)→なげく」が動詞終止形・連体形となり、動詞「なげき」となった。「ながあ(汝が吾)」の「が」は所属を表現する助詞(→「母が手」(母の手))。つまり「ながあ(汝が吾)」は、あなたの私、ということ。「ながあ(汝が吾)」へ行く、あなたの私へ行く、とはどういうことかというと、「つま(夫・妻)」であれ、親や子であれ、最愛の人が死ぬ。その人を思い、汝(な)が吾(あ)へ、あなたの私たる世界へ行く(あなたの私になりたい)…そんな思いを表現する。たとえば、「我(わ)が「ながあへゆく(汝が吾へ行く)風(かぜ)→我がなげく風(かぜ)」。あるいは、「なげく空(そら)」。表現されることは希求と悲しさ。単なる希求でも、単なる悲しさでもなく。希求と悲しさ。希求の内容は様々なことが表現されるようになり、また、それは現実により否定されているがゆえの希求でありその否定する現実の現状を訴えることも「なげき」と言われるようになっていく→「利権政治の横行する政治の現状をなげく」。
この動詞による「なげかひ」もある。これは「なげきはひ(嘆き這ひ)」。なげく情況動態になること。これによる形容詞「なげかはし(嘆かはし)」もある。
「大野山(おほのやま)霧立ちわたる我が嘆く(那宜久)おきその風に霧立ちわたる」(万799:これは妻の死に際しての歌。「おきそ」は「沖潮(おきしほ)」でしょう。沖へ流れて行く潮。ただし、一般には、「おき」は「いき(息)」、「そ」は口をすぼめて息を吐くこと、と言われる)。
「今城(いまき)なる 小丘(をむれ)が上に 雲だにも 著(しる)くし立たば 何かなげかむ(那皚柯武)」(『日本書紀』:これは斉明天皇が幼くして亡くなった建王(たけるのみこ)を思っている歌)。
「大君(おほきみ)の 任(まけ)のまにまに 島守(しまもり)に わが立ち来れば ははそ葉の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾(すそ) つみ上げかき撫(な)で ちちの実の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白髭(しらひげ)の上ゆ 涙垂(た)り 嘆きのたばく(なげきのたまはく)…」(万4408:防人の歌。「母の命(みこと)は み裳(も)の裾(すそ) つみ上げかき撫(な)で」は、衣類が邪魔にならぬよう少し上げ走るように寄り私をかきなでた、ということでしょう)。
「天地(あめつち)を歎(なげ)き祈(こ)ひ祷(の)み幸(さき)くあらばまたかへり見む志賀の唐崎(からさき)」(万3241:「天地(あめつち)」が「汝(な)が吾(あ)」の「汝(な)」。この歌は、但此短歌者 或書云 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)の佐渡に配(なが)さえし時(とき)作(つく)れる歌なりといへり、という但し書きのある歌)。
「嘆き(名毛伎)せば人知りぬべみ山川のたぎつ心を塞(せ)かへてあるかも」(万1383:恋の思いを、なげき、と表現している。会えないことが死ぬような思い、ということでしょう。恋の思い、それも、果たされぬ恋の思い、を「なげき」と表現することは多い)。
「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く(奈氣久)息と知りませ」(3580:新羅へ行く使者に送った歌)。
「さくらの花のもとにて年のおいぬることをなけきてよめる」(『古今和歌集』詞書:若いころは、どれほど希求しても、もう永遠にもどらないということ)。