◎「なぐさめ(慰め)」(動詞)
「なぐさみいえ(慰み癒え)」。「なぐさ(慰)」(和(な)ぎ種(くさ):和(な)ぎこと)の努力をし癒える(安堵する)。「なぐさまり(慰まり)・癒える(安堵する)」。つまり、慰められる。この「なぐさめ(慰め)」は「なぐさみ(慰み)」の他動表現になっていく。すなわち、他者や自分の心などに「なぐさ(慰)」を与える、という意味になる。
「家にありて母がとり看(み)ばなぐさむる心はあらまし死なば死ぬとも」(万889:なぐさまる(慰められる)心はありもするだろう)。
「慰めがたく、憂しと思へれば…」(『源氏物語』:これは空蝉が「なぐさむ」。源氏が空蝉をなぐさめるわけではない)。
「大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ 名のみを 名児(なご)山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに(奈具作米七國)」(万963)。
「日ひとひ入(い)りゐてなくさめきこえたまへどとけがたき御けしき…」(『源氏物語』:これは、相手がなぐさむ(自動表現)ことを言った、という意味にも、相手をなぐさめた(他動表現)、という意味にもとれますが、自動表現でしょう(「なぐさめ」が他動表現で「~きこえ」が謙譲で、おなぐさめ申し上げた、のような表現も、ここでの紫上と源氏の関係を考えると冗談のようで面白いですが、たぶんそうした表現はしていない))。「『出でずなりぬ(外出しないことになった)』と(源氏が)聞こえたまへば(言うと)、(紫上は)なぐさみて起きたまへり」(『源氏物語』)。
「おとこをむな(男女)のなかをもやはらけ、たけきものゝふの心をもなくさむるはうたなり」(『古今和歌集』仮名序:この「心をなぐさめ」という表現の「なぐさめ」は、「を」が状態を表現する自動表現とも、目的を表現する他動表現ともとれ、こうした表現から「なぐさめ」が他動表現になっていくのでしょう)。
「下向には京へ寄て四五日もなくさめ、折ふし…」(『好色五人女』)。
「信じていた彼に裏切られおちこんでいた彼女をなぐさめる」。
◎「なぐさもり(慰もり)」(動詞)
「なぐさみより(慰み寄り)」。「なぐさみ(慰み)」はその項。「より(寄り)」は、経験経過に無条件受容を生じた情況であること。「なぐさみ(慰み)」が何かに寄れば、「なぐさみ(慰み)」はそのなにかに無条件受容を生じた情況になり、その何かは「なぐさみ(慰み)」の影響下になる。そのなにかは、たいてい、心(こころ)。まれに、こと、もある。つまり、「なぐさみよるこころ(慰み寄る心)→なぐさもる心(こころ)」は、「なぐさむ(慰む)」動態になる心。心はなぐさめられた状態になっている。この動詞は連体形しかないように思われます。「心はなぐさもりて」といった表現は、心はなぐさまりて、や、心はなぐさめられて、に意味は似ているわけですが、事実上必要ない、ということでしょう。
「…わが恋ふる千重の一重もなぐさもる情(こころ)もありやと…」(万509)。
「大夫(ますらを)は友の騒きになぐさもる(名草溢)心もあらむ我れぞ苦しき」(万2571)。
◎「なぐし(和し)」(形シク)
「なぎゆいし(和ぎゆいし)」。「ゆ」は経験経過を表現する助詞(→「ゆ(助)」の項)。「なぎ(和ぎ)」はその項。「いし」は、この場合は肯定的な良さが進行している(進んでいる)情況にあることを表明するシク活用形容詞(→「いし(形シク)」の項)。心が穏やかに、平穏になり、良い、という表現。
「丹ノ国風土記曰…………至竹野郡船木里奈具村云、此処我心成奈具志久(なぐしく)者 古事平善者曰奈具志(なぐし)」(『古事記裏書』)。