◎「なからひ」
「なかあれあひ(中生れ合ひ)」。「なか(中)」(12月15日)は、この場合は人と人の関係・間柄(→「なか(中)」の項)。「なかあれあひ(中生れ合ひ)→なからひ」は、関係が生まれあっている、ということであり、相互に関係性が保障された関係にあること、そうした関係、を言う。社会的な関係に関しても、生物学的というか、血統や血筋たる関係も言う。
「御後見どもも、こなたかなた、かろがろしからぬなからひに物し給へば」(『源氏物語』:一族・関係者)。
「おのづから人の仲らひは、忍ぶることと思へど、隠れなきものなれば」(『源氏物語』:これは男女の関係)。
「上達部の筋にて、なからひも物きたなき人ならず」(『源氏物語』:これは一族)。
◎「ながらひ」(動詞)
「ながれはひ(流れ這ひ)」。流れる情況になること。
「雉(きぎし)鳴く高円(たかまと)の辺(へ)に桜花(さくらばな)散りて流らふ見む人もがも」(万1866:これは遠く流れていく)。
◎「ながらへ」(動詞)
「ながれあへ(流れ堪へ)」。流れ(流される情況にあり)そこで自己を維持する努力をし、の意。流されながら自己を維持している状態を表現する。「あへ(堪へ)」による維持は、それが空間的にであれば、なにかが流れ、(失われることなく)ひろがっていき、それが時間的・年月的にであれば、時を経、年月を経、持続したり受け継がれたりする。
「沫雪か はだれに降ると見るまでに 流らへ(流倍)散るは何の花ぞも」(万1420:この「あへ(堪へ)」は、流れる、という動態自体が維持されている。つまり、それが持続し続けている。つまり、際限なく散り続けている)。
「天地の 遠き初めよ 世間(よのなか)は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ(奈我良倍)来たれ」(万4160:世間(よのなか:人の世)はそういうものとして維持されてきたということ。これは大伴家持の歌ですが、仏教的無常観の影響ということでしょう)。
「淡雪の消ぬべきものを今までに流らへ(流經)ぬるは妹に逢はむとぞ」(万1662:年月を自己を維持してきた、ということであり、生きて来た、と同じような意味になる。「ながらへ」だけで、生きて来た、と同じような意味になる)。
「天霧らひ降りくる雪の消なめども君に逢はむとながらへ(流經)わたる」(万2345)。