◎「なかなか」
「なくはなきか(無くは無きか)」の音変化。無いことは無いか、無いと言えないことは無いか、の意。有ると明瞭に言えないが、有る。疑問はあるがある。ということ。事態が希(まれ)であることが表現される。
この表現が、完全にあるとは言えないがあることをあらはし→「葛木(かづらき)やくめち(久米路)にわたすいははしの(岩橋の)中中にても帰りぬるかな」(『御撰和歌集』:「かれ(離れ)にけるをとこの、思ひいててまてきて(思ひ出でて詣で来て)、物なといひてかへりて」という詞書が添えられている歌。やって来て。昔、男と女として会っていた男が、会ったとはいえないようないいかげんなやりとりで帰って行った)。「かぎりかと思ひつゝこし程よりもなかなかなるは侘びしかりけり」(『かげろふ日記』)。「思ひ出できこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かく急ぎ渡りたまふを(玉鬘がこのように急いで帰ってしまうことを源氏は)、いと飽かず口惜しくぞ思されける」(『源氏物語』:「ほのか」なのは、思い出)。
また、それが評価にかんしその意外性が言われ→「今は、なかなか上臈になりにてはべり」(『源氏物語』:この「上臈(ジヤウラフ)」は、高い身分の女、といったような意味でしょうけれど、これは自分で言っており、「なかなか」による意外性は謙遜でしょう)。「月は有明にて、光をさまれるものから、かげけざやかに見えて、なかなかをかしき曙なり」(『源氏物語』:月がおかれた環境状況からみて、そのけざやかさが意外)。「仏も、なかなか心ぎたなし、と見給ひつべし」(『源氏物語』:仏に、そうとは思っていなかったが、意外と心汚し、と思われてしまう)。「なかなかいいぢゃないか」。
また、「なかなか」につづいて否定が言われた場合、その否定が希(まれ)であることが言われ、なにごとかが強調される→「あれ體(てい)の不覚人(覚悟のない者)あれば中々軍(いくさ)がせられぬぞ」(『平治物語』:軍(いくさ)ができない事態はなくはなきか(なかなか)だ(そんなことは希(まれ)だ。武士は軍(いくさ)はできる)。しかし、ああいう覚悟のない者がいては軍(いくさ)はできない(あいつはそれほど覚悟のないやつだ))。「問題がなかなか解けない」(解けないことは希(まれ)で解けない→解けそうで解けない)。
また、「なかなか」だけで、相手の言ったことに対し上記「なかなかいい」のような、「その通り」のような、肯定評価を表現したりする→「弟 ………此三様(みさま)の事より外に、別の肝要なる儀有りや 師 中中、肝要なる儀あり」(『どちりなきりしたん』)。「主『イヤイヤ。どふ有ても某(それがし)は乗る事は成らぬ程に。汝乗れ』 シテ『ハア、私が乗りまするか』 主『中中(なかなか)』」(「狂言」『止動方角』)。
◎「なかば」
「なかみは(中身端)」。「なか(中)」は中央。「は(端)」は部分域。「なかみは(中身端)→なかば」は、中(なか)たる、身(み)の部分域。なにかの、全体半分、を意味する。また、ものであれことであれ、半分となるそこ、そのあたり、も意味する。「なか(中)」の情況を表現する「なから(中ら)」という語もある。
「天皇(すめらみこと)有司(つかさつかさ)に命(みこと)おほせて、二(ふた)つに子孫(うみのこ)を分(わか)ちて、一分(なかば)をば大草香部民(おほくさかべのたみ)として皇后(きさき)に、封(よさ)したまふ。一分(なかば)をば…」(『日本書紀』)。
「春のなかばにもなりにけり」(『蜻蛉日記』)。
◎「なかまなに」
「なかまなに(名か真汝、に)」。名(な)だけか、言葉だけか、それとも真の汝(な:あなた)か…それをかけて、船を漕ぎ出る…ということ。これは万3401にある表現であり、語義未詳とされている部分。
「中麻奈尓(なかまなに)浮き居る船の漕ぎ出なば逢ふことかたし今日にしあらずは」(万3401)。