◎「ながし(流し)」(動詞)
「ながれ(流れ)」の他動表現。流(なが)れる状態にすること。流(なが)れる状態にされるなにかは、液体をもっとも一般的なものとして、ものであれことであれ、さまざまですが、「浮名をながす」は、そうした噂や評判になるようなことをしつづけることをそういう。「(風呂で)背中をながす」は、洗い流す、の意でいわれる。「受けながす」は、なんらかのことを「受け」、止めずに移動させ、それは自己から遠ざかっていく。「聞きながす」は聞くことでそうする。江戸時代には遊郭に居続けることを「ながす」と言ったりもした。生活における周囲の環境変化を流れるままにすることをそう表現する。「『…しかし長く居なさんな(長く居るなあ)。……流せば迚(とつて)も程(ほど)があらァな』」(『浮世床』)。
「飛騨人(ひだひと)の真木(まき)流すといふ丹生(にふ:爾布)の川言(こと)は通へど舟ぞ通はぬ」(万1173:「にふ(爾布)」は地名でしょうけれど、不明)。
◎「ながれ(流れ)」(動詞)
「なぎあれ(和ぎ離れ)」。平均化へ向かって自己から離れて行く情況の表現。これは水の自然動態を表現したことが起源でしょう。「なぎ(和ぎ)」は動態均質化した状態にあること(その項)。「あれ(離れ)」は離れること。「なぎあれ(和ぎ離れ)→ながれ」すなわち、動態均質化した状態にあり離れる、とはどういうことかというと、動態不均質な状態にあるなにかが均質化しつつ移動していく、ということです。典型的には、水が動態の安定をめざし高地から低地へ移動する。そうした移動が「ながれ」。「ながれる」なにかは、液体がもっとも一般的ですが、電気や音楽もながれ、時(とき)もながれ、そこにあったはずの質物が期限が過ぎ「質(しち)流れ」になったりもし、生活地が絶えず移動し不逞であれば「流れ者」。
「石走りたぎちながるる(流留)泊瀬川(はつせがは)絶ゆることなくまたも来て見む」(万2092)。
「柘(つみ)のさ枝(えだ)の流れ来ば…」(万385)。
◎「なかさだめる」
「なかしあだめる(泣かし徒見る)」。「なかし(泣かし)」は「なき(泣き)」に尊敬の助動詞「し」がついたもの。「める(見る)」は動詞「み(見)」に完了の助動詞「り」がついた連体形。「み(見)」がなぜE音化するかに関しては「り(助動)」の項参照。お泣きになり全てを何の甲斐も無く見る、の意。『古事記』の歌にある表現であり、意味のわからない難句と言われる部分。「なかさだめる」という語が一般的というわけではない。「なかさだめる(那加佐陀売流) 思ひ妻あはれ」(『古事記』歌謡89)。