「言はない」「消えない」「そんなことしない」などの「~ない」。「ぬはひ(ぬ這ひ)」。「ぬ」は否定。「はひ(這ひ)」は、情況が現れること、なにごとかが情況化すること。「~ぬはひ(ぬ這ひ)」は、「~」で表現されるなにごとかをしない情況になること。情況的に、することはできない(しない)状態になる。表記は、「なひ」もありますが、「ない」が一般的になっていく。
(以下の例文は『日本 国語大辞典』(小学館)の「ない(助動)」の項のものをそのまま写している)。
「此の句は、心程ことばはよわくたらなひけれども」(「俳諧」『やっこはいかい』:渡らぬはひけれども) 。
「合戦だといふのは死ぬもんだとおもへば、思ひの外に死なないで、…」(『雑兵物語』:死なぬはひぬにて)。
「夕べの如く言はないけりや、とやとや通りのむやむやの関、二度と越し申さない」(「浄瑠璃」『女殺油地獄』:言はぬはひければ。申さぬはひ。「けりゃ」は「ければ」。「言へばいいんだ」なども「言(い)やあいいんだ」になる。E音と「ば」がI音と「や」になっている。すればいいのに→すりゃあいいのに)。
「指がどこかへとんで、見えなくなったのさ」(「洒落本」『古契三娼』:見えぬはふけりになる。「けり」は、けりをつける、などのそれであり、最終決着、の意(助動詞「~けり」ではない)。R音は退化し「けい」が「く」になっている。この表現は、「見えない」の「ない」が形容詞のように考えられ、たとえば「本がなくなる」のような、形容詞「なし(無し)」の連用形との混乱が起こった表現と考えられることが相当に一般的です。しかし、たとえば「言はなくなる」の「なく」が形容詞であることは不自然な表現です(たとえば「言は赤くなる」や「言は美しくなる」のような)。これは、言はぬはふけりになる→言はなふくなる→言はなくなる(言はないという情況が現れる最終決着になる))。
「十ぶんな事をして貰はねへければ、おめへもむねがすみやすめへ」(「洒落本」『富賀川拝見』:もらはなければ→貰はぬはふけり得(え)れば(十分なことをしてもらわない最終決着になったら)。この表現がべえべえ言葉で「ない」が「ねへ」になっている)。
「昨夜お目にかからなければ、此思ひはあるまいかとぞんじます」(「人情本」『英対暖語』:かからぬはふけり得(え)れば(昨夜お目にかかっていなければ))。
「四五日おれが来なかったから…」(「人情本」『仮名文章娘節用』:来なかった→来なくあった→来ぬはふけりあった)。
「五七日も来なかろうが、そりやァ常の事た」(「人情本」『花筐』:来なかろうが→来なくあろうが→来ぬはふけりあろうが)。
「サアサア起きねへか、起きねへか。遅いぜ遅いぜ」(「滑稽本」『浮世床』:これは「起きないか」がべえべぇ言葉で「ねへか」になっている。「起きないか」は「起きぬはひか」。これは、起きないままか、のような意味になり、起きろ、という命令や、起きてはどうだ、というすすめになったりする。「言はないか」は、言はないままか→言え、や、言うのはどうだ?)。

「言はなんだ→言はぬはひぬにてあり→言はなひぬにてあり→言はなぬであり→言はなぬだ→言はなんだ(言はなかった)」。
「~しない→~しゐぬはひ(~し居ぬはひ)」(することのない情況になる→「彼はそういうことはしない」)。

問題は、この「ない(助動)」と『万葉集』にある古代東国方言たる「なふ(無ふ)」との関係です。これは関係があるともないとも言われている。なぜそうなるのかというと、表現は酷似しているというか、同じなのですが、この項目の「ない(助動)」は室町時代末期に文献に現れ、文献上、『万葉集』の時代との連絡が不明だから。ある表現が、文献上、『万葉集』の時代にあり、それが一度消え、室町時代にまた現れたような状態になっている。しかし、この現象は、武家の時代になり、公家の時代には俗語・卑語と評価されていたような表現をしている者もさまざまな場面で執筆をおこなうようになり、それが資料として残るようになったということでしょう。『万葉集』の時代の東国方言は大伴家持その他が採録、収集したものであり、その言語主体が執筆をおこなっているわけではないのです。つまり、この「ない(助動)」は古代東国方言たる「なふ(無ふ)」だということ。「なふ(無ふ)」は別項としてそこで扱われる。この「ない(助動)」の項はその「なふ(無ふ)」の項の付録のようなもの。