N音の客観的認了とA音の全的完成により全的完成感のある認了(環境との均質)が生じる(表現される):その3
・「な」による情況への均質化表現が感動・詠嘆を表現することがある。
「花の色は移りにけりないたづらに…」(『古今和歌集』)。「河の上(へ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて」(万22:「もがも」は「もが」の項参照。切実な憧れのようなものを表現する)。推量も詠嘆する→「花は散らむな」(万3913:散るんだろうなぁ…)。「我は恋ひむな」(万1778:このまま恋ひつづけるんだろうなぁ…:「恋ひ」は上二段活用動詞)。「わぁ。いいなぁ。それ」。この「な」は単なるある程度の思いのこもった認容的確認であることもある→「これならうまくいくな」。「困ったな」。
この「な」も文法的に「終助詞」と言われる。
 

・「な」の均質化が属性規定を表現する「な」がある。「瓊(ぬ)な音(と)」(玉の音)。「目(ま)なかひ(交ひ)」。「AなB」はAが均質化した属性であるB(Aという属性であるB)を表現する。
この「な」は文法的に「格助詞」と言われる。

・その他、「な」には完了の助動詞「ぬ」がA音化する場合もある。しかし、たとえば「聞きなむ」「絶えなむ」などと言った場合、その「な」は完了の助動詞「ぬ」が、つづく意思・推量の助動詞「む」の効果によりA音化し「な」になっているのであり(つまり、つづく「む」の効果により「ぬ」が「な」になっている→「む(助同)」の項)、それは完了の助動詞「ぬ」と意思・推量の助動詞「む」の問題であり、直接に「な」の問題ではない(ただし、文法では、完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」が言われる。なぜなら、推量の助動詞「む」は未然形に接続するから)。ちなみに、「いざ桜我も散りなむ」(『古今和歌集』)「明日は雪とぞ 降りなまし」(『古今和歌集』)のように、「ぬ」(A音化した「な」)と「む」や「まし」の推量感が重なっても、推量の確信性は強く表現されるようになりはしても、「ぬ(な)」がなく単に「散らむ」「降らまし」でも決定的に意味が変わるわけではない(この点は推量表現に「て」(完了の助動詞「つ」の変化)が重なり「てむ」「てまし」になる場合も同じ)。