◎「とを(十)」
→「ひと(一)」の項参照。数詞は「ひと(一)」にまとめられる。「とを」は「十(10)」を表す数詞ですが、単位を表す数詞にはならない。単位を表す数詞は「そ(十)」→「そ(十)」の項。
「さしぐしは たうまりなゝつ ありしかど 」(『催馬楽』「挿櫛」:一般に「たうまり→とをあまり(十余り)」とされるこの部分は国立国会図書館の『催馬楽抄』では「左宇万利(さうまり)」になっている。これは「みそぢ(三十路)」などと言う、単位をあらわす「そ(十)」による「そをあまり(十を余り)」かもしれない)。
「一(ヒト)ツノ言ノ端ヲ以テ十(トヲ)ノ言ヲ知リヌ」(『東大寺諷誦文稿』:これは原文の脇に「トヲ」と書かれている)。
◎「とをより」(動詞)
「とふをより(訪ふを寄り)」。「を」は状態を表現し、訪(と)ふ状態で、訪(と)ふように、寄り、ということ。自分たるこちらが訪(と)ふのではない。相手たるなにかが、さらに言えば、世界が、自分たるこちらを訪(と)ひ、受け入れている。そんな印象であること。この語は「とをよる~」という連体形としかないと思われます。相手や世界が自分を求め受け入れている印象なのです。
「秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる(騰遠依)子らは いかさまに 思ひ居れか」(万217:「したへる」は「したひ」の項(「したひ(慕ひ)」ではない)。「いかさまに 思ひ居れか」は、どんなに悲しんでいることだろう、ということだろう。これはある采女(うねめ)が死んだ歌)。
「なゆ竹の とをよる(十縁)御子(みこ)」(万420)。
「あぢ群のとをよる(十依)海に舟浮けて白玉採ると人に知らゆな」(万1299:自分を呼びその世界へ迎え入れようとしているような、そして自然豊かな、海)。