これは「とり(取り)」の項(11月24日)に続くものです。
動詞の前に「とり~」がつき、「~」で表現されるその動態が専心的であったり効果的であったりすることを表現する場合がある。助詞「と」は上代特殊仮名遣における乙類表記であり、「とり(取り)」の「と」も一般には「等」や「登」の乙類表記ですが、まれに甲類表記になることがある。たとえば、
「乃(すなは)ち撫劒(つるぎのたかみとりしばりて)雄誥(をたけびして)曰(のたま)はく 撫劒、此(これ)をば都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢(つるぎのたかみとりしばる)と云(い)ふ」(『日本書紀』:「たかみ」は剣の手で握る部分。「屠」は甲類「と」)。
「国にあらば 父とり見まし(刀利美麻之) 家にあらば 母とり見まし(刀利美麻志)」(万886:看病する。「刀」は甲類「と」)。
あるいは、
「赤駒を山野にはがし捕(と)り(刀里)かにて多摩の横山徒歩(かち)ゆか遣らむ」(万4417:「刀」は甲類「と」。この歌は方言的変化がある。「はがし(波賀志)」は、はなれさせ、のような意の方言でしょう)。
「おのが身し 労(いた)はしければ 玉桙(たまほこ)の 道の隈廻(くまみ)に 草(くさ)手折(たを)り 柴(しば)取り(とり:刀利)敷(し)きて とこじもの うち臥(こ)い伏して」(万886:「刀」は甲類「と」。「とこじもの」はその項。この万886は上記にもある:この歌は旅の途上で病を得、死んだ人を歌ったもの)。
「ますらをの 男さびすと 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り(とり:刀利)佩き」(万804:「刀」は甲類「と」。これは、歌の、若い頃「をとこさび(男さび:想的に男を誇示する)」をして自分をほこっていた様子を歌った部分のもの)。
おなじ「腰にとりはき」でも、
「…剣大刀(つるぎたち) 腰に取り(とり:等里)佩(は)き…」(万4094:「等」は乙類「と」。これは平素の武人の装備を言ったもの)。
「枕太刀(まくらたし) 腰に取り(とり:等里)佩(は)き ま愛(かな)しき 背(せ)ろがまきこむ 月(つく)の知らなく」(万4413:「等」は乙類「と」。「たし」は「たち」の、「つく」は「つき」の、方言的変化。「ろ」は敬愛称にもなる東国方言。「枕太刀(まくらたち):原文、麻久良多之(まくらたし)」は、(男女の)命がけの誓いや約束の象徴として言っているのだろう。「せろがまきこむ(西呂我馬伎己無)」は、他の説も言われjr
が、背(せ:最愛の人(男)ろが目(め)あき(飽き・秋)来(こ)む、であろう。そんな月(つき)は知らない、と言っている。つまり、あなたの目に飽き(秋)がくることなどない。あなたへの思いは永遠だ。ということ。これは防人の妻の歌)。
あるいは、
「剣大刀(つるぎたち) 身に添ふ妹を 取り(とり:等里)見がね 音をぞ泣きつる 手児(てこ)にあらなくに 都流伎多知 身尓素布伊母乎 等里見我禰 哭乎曽奈伎都流 手兒尓安良奈久尓」(万3485:「とりみがね(等里見我祢)」は、とり見(み)際(きは)撥(は)ね(限界を越え)、か。「とりみ」は、たしかに、現実に、見た。「等」は乙類「と」。上記、看病の意の「とりみ」の「と」は甲類。この万3485は、心を奪われたようにある女を見てはいるが(そういう意味の「とりみ」も他の歌にある)、看病のような身や心の尽くし方があるわけではない)。
つまり、なにを言いたいかというと、この『日本書紀』や万886その他にある「とり」は通常の「とり(取り)」ではなく、別語であろうということであり、ではそれはなんなのかと言えば、「とをり(鋭・利居り)」でしょう。「と(利・鋭)」はその項。これはその作用・影響・効果、が累進的に増していく印象を表現する。そうした「居(ゐ)」で、存在のありかたで、なんらかの動態があることが「とをり(鋭・利居り)→とり」。この語は独律でもちいられることはなく、動詞の語頭につき、動態がそういうものであることを表現する。それが上記・甲類「と」で現れている「とり~」です。
(甲類・乙類)
ここで「甲類・乙類」と当たり前のように言っていますが、御存じない方もいらっしゃるかもしれませんので、一応書いておきます。
その昔、のちに仮名(かな)で書かれるようになる文字が中国の漢字を利用して書かれていた時代がありました。その時代、たとえば「き」や「め」、あるいは「み」や「め」にあたる漢字が、二種の漢字で書きわけられていました。たとえば「き」にあたる多数の漢字が二群にわけられる。この二群を「甲類・乙類」と言います。この表記現象は、江戸時代に本居宣長が気づき、弟子の石塚龍麿がよくわからないまとめ方をし、大正から昭和にかけての国語学者・橋本進吉が完全にまとめあげ、「上代特殊仮名遣」や「甲類・乙類」といった語も橋本進吉によるものです。