「とほりゐ(通り居)」。「とほり(通り)」は「とほし(通し)」(その項)の自動表現。「とほりゐ(通り居)→とり」は、なにかを経過しつつ自己を維持しているもの、維持できず障碍を受けることのないもの、ということ。どういうことかというと、それは人その他は障碍をうけ移動できない空間を障害なく移動し、行き来する。なぜなら、この生物は空(そら)を飛ぶから。種類にもよりますが、それは相当な高度も移動する。この生物は、羽があり、その羽ばたきや空気抵抗による浮遊で空中を行き来する。
「とり(鳥)」と呼ばれる生物の別語に「す」がある(→「す(鳥)」・2023年2月22日(下記再記))。たぶん、「す(鳥)」のほうが起源は古い。「す(鳥)」にくらべ「とり(鳥)」は詩的な表現になっている。文化程度の高い語としてそちらが広まっていったということでしょう。
「天飛ぶや鳥(とり:等利)にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの」(万876)。
「鳥も鳴きぬ。人びと起き出でて…」(『源氏物語』:これは鶏(にはとり)であろう)。
「鳥 ………和名與鳥同土里」(『和名類聚鈔』:「與鳥同土里」は、「鳥」にはさまざまな種類があるが「土里(とり)」はその総称だということ)。

◎「す(鳥)」(再記)
「せおひ(背覆ひ)」の音(オン)変化。「そひ」のような音を経つつ「す」になった。背を覆(おほ)ふもの、の意。これは後には「とり(鳥)」と呼ばれることが一般的な動物の一種の名ですが、この動物は飛ぶなどし移動する場合以外、普段は羽で背を覆うようにしている。この名は後世では単独で用いられることはないようですが、「すずめ(雀)」、「からす(烏)」、「うぐひす(鴬)」、「もず(百舌)」、「ほととぎす(時鳥)」、「かけす(懸巣)」などの鳥の名に残る。