◎「とらへ(捕へ)」(動詞)
「とりあへ(取り堪へ)」。「とり(取り)」「あへ(敢へ)」はどちらもその項。「とりあへ(取り堪へ)→とらへ」は、「とり(取り)」による同動が「あへ(敢へ)」ている、耐えそれが維持されている、ということであり、「とり(取り)」による同動が、一過性のはかないものではなく、持続性のあるものであることが表現される。同動するなにかはものであれ、ことであれ、さまざまです。人をとらへることもあれば、ものごとの核心をとらへることもある。
「天皇(すめらみこと)傳(つて)に是(こ)の語(こと)を聞(きこ)しめして、人(ひと)を使(つか)ひにして根使主(ねのおみ)の宅(いへ)を見(み)しむ。實(まこと)に其(そ)の言(こと)の如(ごと)し。故(かれ)、收(とら)へて殺(ころ)しつ」(『日本書紀』)。
「蛍の飛びありきけるを、かれ捕へて、と、この童(わらは)にのたまはせければ、汗衫(かざみ)の袖に蛍を捕へて、包みて御覧ぜさすとて、聞こえさせける。…」(『大和物語』)。

◎「とらはれ(捕はれ)」(動詞)
「とらへ(捕へ)」の受身形の独律動詞化。捕らへられた状態になること。「とらへ(捕へ)」の項参照。
「『罪無くして囚執(とら)はる』」(『日本霊異記』)。
「因襲にとらわれる」。

◎「とらまへ(捕まへ)」(動詞)
「とりあみはへ(鳥網延へ)」。「とりあみ(鳥網)」は小鳥をとるために山などにしかける網。それを「はへ(延へ)」とは、なにかを逃げられない状態にすること。網にかけた→「とらへた(捕へた)」という意味にもなりうるが、それほど強力に、たしかに、確保するわけではなく、逃げられない状態にすることも意味しうる。なにを「とらまへる」かは、ものであれことであれ、さまざまです。この語、静岡、愛知、岐阜あたりから西の方にかけての語と言われている。
「Toramaye(トラマエ),ru(ル),eta(エタ).  Meliùs(より良くは), Torayuru(トラユル).  Ter mão,ou afferrar(手をつかんだり、握ったり)」(『日葡辞書』)。
「おなし丸ねをせんかたの時 とらまへて下戸を上戸の酔狂(ゑいくるい)」(「俳諧」『犬子集』)。