◎「とよ(豊)」
「とゆほ(とゆ秀)」。「と」は助詞になっているそれであり、思念化が起こっていることを表現する(→「と(助)」の項)。「ゆ」は助詞であり(→「ゆ(助)」の項)、この場合は比較を表現する(→「海ゆまさりて」(万2438:海より勝(まさ)って))。「ほ(秀)」は感覚的秀で(目標感のある独自の存在感)を表現する(→「ほ(秀・穂)」の項)。「とゆほ(とゆ秀)」は、ある思念状態に比較して「ほ(秀)」である(秀でている)ということであり、ある思念状態に比較して「ほ(秀)」である(秀でている)とは、想像よりも「ほ(秀)」だ、想像も及ばないほど「ほ(秀)」だ、特異的な発生感がある、ということです。人の想像は及ばない、それを超えているということです。
「豊秋津島(とよあきづしま)」、「豊葦原(とよあしはら)」、「豊逆登(とよさかのぼり)」(『祝詞』では「逆登」と書かれますが、「逆」は『説文』に「迎也」と書かれる字。なにかを迎えるように登っていく)、「豊寿(とよほ)き」、「豊御酒(とよみき)」その他。「豊明(とよのあかり)」は宴会を意味する。

◎「とよ(豊)」(地域名)
九州一部の古い地域名の「とよ」です。これは「とほよ(遠世)」。遠いところ、の意。九州北部の西部あたりに基準を置いた(そこから見た)表現でしょう。それが、遠いところ、だった時代もあったということです。
「次に筑紫(つくし)の島を生みき。………豊国(とよくに)は豊日別(とよひわけ)と謂ひ…」(『古事記』)。

◎「どやどや」
「どいよやどいよや(ど、愈や、ど、愈や)」。「ど」は、「どん,とあたる」などにある、鈍重ななにかがあたる際の擬音「ど」であり、それにより大なものが響き動く―そんな状態を表現する。「いよ(愈)」は、事態進行への感嘆(→「いよいよ(愈)」の項)。「や」は感嘆発声でありその表現。「どや」が二度繰り返されることはそれが継続して起こっていることが表現される。つまり、「どいよやどいよや(ど、愈や、ど、愈や)→どやどや」は、鈍重な印象の大きななにかが、その力昂進持続的に事態進行している。この「どや」による「どやめく」という動詞もある。
「宿のうちどやどやと、にぎやかなるに目をさまし」(「仮名草子」『東海道名所記』)。
「どやどやは 人こぞりてうごく皃歟」(『かたこと』)。