◎「ともなひ(伴ひ)」(動詞)
「ともねはへ(伴根延へ)→ともなへ」が、全的一体的根を延はせ同動体化する、という意味の他動表現としてあり、自動表現「ともなひ」が現れ、「Aをともなひ」の「を」が状態を表現し、それが目的を表現するようになり「ともなひ」が他動表現にもなった。「とも(共・友・伴)」にかんしてはその項(11月10日)。「ともねはへ(伴根延へ)→ともなへ」は、(それが二者であっても)全体を「とも(共・友・伴)」(全的)とする「ね(根)」(存在発生の基礎)を広げ達する状態にすること。「AがBをともなふ」場合、Bはその延ばされた根がつきAの「とも」となる。
「…島つ鳥 鵜養(うかひ)伴なへ(ともなへ:等母奈倍) 篝(かがり)さし なづさひ行けば…」(万4156:この「ともなへ」は他動表現)。
「聞其操、則伴(トモナヘリ)於盗賊ニ」(『将門記』承徳3(1099)年点:その操(みさを:人の理性性)が盗賊にともなふ(盗賊に全体化している)というこの表現の「ともなひ」(「ともなひ」に完了の助動詞「り」がついて「ともなへ」になっている)は自動表現)。
「人(ひと)にも誘(いざな)はれず、人(ひと)をもトモナハズシテ(止毛奈方須之天)…」(『続日本紀』宣命 天平神護元(765)年:この「ともなひ」は他動表現)。
◎「どもり(吃り)」(動詞)
「ドもり(度盛り)」。「ド」は「度」の音(オン)ですが、ここでは、度(ド)が過ぎる、などのような、程度、という意味のそれではなく、イチド(一度)、ニド(二度)、のような、回数をあらわすそれ。「もり(盛り)」は量規模を、この場合はことの量規模を、すなわち回数規模を、あらわすこと。「ドもり(度盛り)」、すなわち、ことの回数規模をあらわす、とは、ここでは言語活動にかんして言われ、言語活動の回数規模をあらわし、盛っていく。それを増やしていく。どういうことかというと。ある言語活動が始まる。その瞬間、同じ言語活動が始まる。その瞬間、同じ言語活動が始まる。その瞬間、同じ言語活動が始まる…。それが何度も起こる。それが「どもり」。この語は名詞が生まれ、それが動詞化したものでしょう。
「『どもりといふものは謡はうたふ物じやが。そなたは謡はぬか』」(「狂言」『どもり』)。
「瘂 ドモリ」「訥 ドモル」(『雑字類書』)。