◎「ども」
「でとも」。「で」は助詞のそれ(「で(助)」の項・8月11日)。「とも」は「とも(共・友・伴)」(その項・11月10日)。たとえば、「とも(共・友・伴)」により、「我が子(こ)とも」と言った場合、それは、原意としては、我が子たる全体化するすべて、という意味になりますが、「とも」に、従者(伴)、や、友人(友)、という意味が一般化した場合、我が子であることの意味性が希薄になる。そこで「我が子で」と、我が子であることが強調され、それであることが示される。そして「我が子でとも→我が子ども」。この表現から、「こども(子供)」がまだ成人として成立していない人を意味する一般的な語にもなり、「~ども」が自分の保護従属下にあるような立場の人たち(すなわち複数)を表現する語にもなった。「~ども」は「~」の複数表現なのですが、その「~」への尊重感は乏しい。たとえば「百姓たち」は「百姓」を尊重していますが、「百姓ども」は、尊重感に乏しく、さらには、侮蔑している。代官に「百姓たち」と言われていた人たちが、一揆を起こしたとたん、「百姓ども」と罵(ののし)られたりする。物(もの)の複数を表現することもあり、自己の謙遜を表現したりもする→「身ども」「私ども」。
「我が背子を安我(あが)松原よ見わたせば海人娘子(あまをとめ)ども(登母)玉藻刈る見ゆ」(万3890)。
「右のおほいまうちきみ(大臣:大き前つ君) すます(住まず)なりにけれは(同居しなくなり)、かのむかしおこせたりける(寄こした)ふみとも(文ども)をとりあつめて返すとてよみておくりける」(『古今和歌集』詞書)。

◎「ども」(助詞)
「ど」は助詞の「ど」(→「ど(助)」の項)。「も」も助詞であり、「AもBも」のように、なにかを累加する。「~ど」以下で表現されることが「~ど」で表現される不確定な条件下にあることが表現され、「~ど」以下で表現されることがそんな不確定な条件下でも成立する強力なものであることが表現され、さらに、その不確定な条件下にあることが「も」で累加されその強さが強調される。つまり、「も」は意味を強めているだけであり(表現としては権威的でもある)、「ど」も「ども」も決定的に意味がかわるわけではない。「待てど来ず」も「待てども来ず」もほとんど意味はかわらない。この「ど」にかんしては「ど(助)」の項(9月10日)。
「はろばろに思ほゆるかもしかれども(杼毛)異(け)しき心を我が思はなくに」(万3588)。
「あやしきげらふ(下郎)なれども聖人の戒めにかなへり」)」(『徒然草』:「げらふ(下郎)」は地位や身分の低い人。正しい表記は「ゲラウ」)。
「読んでみたけれども良くわからない」。