「ともろ(~と、諸)」。「ろ」の子音は退行化した。「と」は助詞の「と」にもなっているそれであり、思念的に何かが確認される。「もろ(諸)」は全的であることを表現する(→「もろ(諸)」の項)。「ともろ(~と、諸)→とも」とは、~とすべて、~たるすべて、~とある完全なすべて、ということであり、たとえば「鵜飼(うかひ)がとも」(『古事記』歌謡15)と言った場合、「が」は主格ではなく帰属を表現し、「鵜飼」に所属する、鵜飼である、と思念的に確認されるすべて→鵜飼たるすべての人、という意味になる。「我がとも(我が友)」は、「我」に所属する(それゆえ一体的に親しい)と思念的に確認されるすべての人。Aという権威者に所属すると思念的に確認される(それゆえ一体的にそれに従属する)すべての人は「Aが(Aの)とも(伴)」。
「藤原の大宮仕へ生(あ)れつくや娘子(をとめ)がとも(友)は羨(とも)しきろかも」(万53:娘子(をとめ)たち)。
「臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・國造(くにのみやつこ)、又(また)隨(したが)ひて(宍人部(ししひとべ:たぶん、食用獣肉の処理係)として人を)續(つ)ぎて貢(たてまつ)る」(『日本書紀』)。
「空言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏(うぢ)と名に負へる 大夫(ますらを)のとも(等母)」(万4465)。
「あづまの方に行きて住み所もとむとて、友とする人ひとりふたりして行きけり」(『伊勢物語』)。
「死にも生きも同じ心と結びてし友や違(たが)はむ(友は食い違いあうことなどあるでしょうか)我れもよりなむ(私も同意します)」(万3797)。
・「ともに」
「ともに」は「ともろに(と諸に)」→~と全的に、ということなのですが、全体がなにごとかであることが表現される。たとえば「(人)A・(人)Bともに有罪が宣告された」は、全的に、どちらもが、有罪を宣告された。ある人が言われつつその人にかんすることが思われ、それを「~と」と確認し、あるいは、あるものごとを「~と(~の)」と確認し、「~とともに」と言った場合、「~」たることと全的に、ということなのですが、「~」とあることがすべて(他のことはない)、という状態になり、「Aと(の)ともにB」は、BとAは同時進行することが表現される。「天地(あめつち)の(能)ともに(等母尓)久しく言ひ継げとこの奇(く)し御魂(みたま)しかしけらしも」(万814)。「山県(やまがた)に 撒(ま)ける青菜(あをな)も 吉備人(きびひと)と ともにし摘めば 楽しくもあるか」(『古事記』歌謡55:「山県(やまがた)」は「山県(やまあがた)」)。「日の出とともにあたりが輝く」。「ともに~する」は複数が同時進行でなにごとかをする。「…明くる朝(あした)は しきたへの 床(とこ)の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども ともに戯(たはぶ)れ…」(万904)。