◎「とめ(止め・泊め)」(動詞)
「はめ(嵌め)・はまり(填まり)」「をへ(終へ)・をはり(終り)」といった変化の影響により、「とまり(止まり・泊まり)」(11月7日)から生じた他動表現。進行の意思・条件下にありつつ進行させない努力をすること。印象化・記憶化すること(「心にとめ」「目にとめ」、「面影は身をも離れず山桜心のかぎりとめてこしかど」(『源氏物語』:とめて来たけれど))、や進行条件下で進行させない・行かせない→残す、ことも表現する→「世の中に跡とめむともおぼえずなりにたりや」(『源氏物語』:この世に跡をとどめようとも思わなくなった(生きていたいとも思わなくなった))。宿泊させることも表現する。
「うちひさす宮に行く子をま悲しみ留(と)むれば苦し遣(や)ればすべなし」(万532:娘が宮仕えにでる際の歌)。
「『この桜の老木になりにけるにつけても、過ぎにける齢を思ひたまへ出づれば、あまたの人に後れはべりにける、身の愁へも、止めがたうこそ』」(『源氏物語』)。
「我が心 明石の浦に 船とめて(等米弖) 浮寝をしつつ」(万3627)。
「一人をとめん事は案の打物(うちもの)小脇にかいこんで…」(「浄瑠璃」『出世景清』:この「とめ」は、静止させる、という意味ではなく、動詞たる「とどめ(決着め)」(その項・10月19日)という意味で言っている。つまり、殺すこと。「とめん事は案の打物(うちもの)…」という表現は、「案の内(思いのまま)」の「うち(内)」と刀剣を意味する「打物(うちもの)」の「うち(打ち)」がかかった表現になっている。そういう言語技巧。これは記録文書などではなく、近松門左衛門の浄瑠璃なのです)。
「『おいらぢやねへよ。あの子だようヨ』『翌(あした)また留(と)められやうと思つて。お師匠さんに云つ告(つけ)てやらァ』」(『浮世風呂』:「留(と)められやう」は「食べよう」などの「~よう」による「留(と)められよう」でしょう。そして、それは、意思表現ではなく、推想・推量。つまり、「とめ」は強制制止→処罰を意味しつつ、翌(あした)また罰(バツ)を受けるだろうと思って(お前はそう思ってるな)ということ)。
「水道の蛇口をひねって水をとめる」。「通行止めにする」。「口止め」。「書留(かきとめ)」。
◎「とめ(求め)」(動詞)
「ともえ(と燃え)」。「と」は思念的になにかを確認する(→「と(助)」の項・9月7日)。「もえ(燃え)」は燃焼が起こることですが、それが自然的要因によるものであれ社会的な要因によるものであれ、なにものかやなにごとかへの欲望の発起が、燃焼が起こった、と表現された。たとえば「香(カウ)をと燃(も)え→香(カウ)をとめ」と言った場合、「を」は目的を表現することによりそれへの希求を表現し、香を希求しそれを得たいと思っていることが表現され、「とめ」が独律した動詞となっていく。
「香をとめて来つるかひなくおほかたの…」(『源氏物語』:香に誘引されそれを追跡している状態で)。
「夜(よ)ぐたちに寝覚めて居れば川瀬尋(と)め心もしのに鳴く千鳥かも」(万4146:川瀬を希求し願っている。「夜(よ)ぐたち」は夜が明けるころ)。
「認 ……トム………モトム……タヅヌ」(『類聚名義抄』)。
「思ひ出でて誰かはとめて分けもこん入る山道の露の深さを」(『山家集』:この歌は、露の深さを思ひ出でて、と循環になっている)。
◎「とむらひ(訪ひ・弔ひ)」(動詞)
「とぶらひ(訪ひ・弔ひ)」の変化。その項(11月2日)。