「ともはり(艫張り)」。「とも(艫)」(その項)は船の後尾を言う。「ともはり(艫張り)」は、その後尾と陸との接続に緊張が生じること。緊張が生じ固化し動かない。すなわち、進行条件にはあるが、船は進行しない。すなわち、「とまり(止まり・泊まり)」は、進行意思下・進行予想下・進行条件下にありつつ進行しないこと。進行の予定にあったり、進行が予想されたり、進行したいと思っていたりするが、進行しない(「その電車はA駅にとまる」「雀が枝にとまる」)。儀式や行事が中止になること(ことの進行が進行予想化にありつつ進行しなくなるわけです)、印象化・記憶化することも「とまり」と表現する(たとえば「目にとまる」。印象が進行条件下(進行し喪失する)にありつつそこから進行しいなくなることはなくそこを動かない(印象が喪失せず残る))。旅の途次宿泊することも表現する(「泊(と)まる」)。また、「とどまり(留まり)」(その項)と同じような意味でも言われる。
「吹く風の 見えぬがごとく 行く水の とまらぬ(登麻良奴)ごとく 常もなく」(万4160)。
「くちをしきもの  ……………いとなみ。いつしかと待つことの、さはりあり、にはかにとまりぬる」(『枕草子』:「いとなみ」はなにかの特別な行事であり、それがなんらかの理由によりおこなわれなくなる)。
「『みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も、いづこにとまるべきにか』」(『源氏物語』:~まして、それがもっともなことかどうかなど、どういう思いや考えにしっかりと自分を安定させればよいのか)。
「善き悪しきことの、目にも耳にもとまるありさまを」(『源氏物語』)。
「み越道の雪降る山を越えむ日はとまれる(留有)吾を懸けて偲はせ」(万1786:地方官として赴任する夫を送った妻の立場の歌。妻は、行きたい思いはあるが、行くことなくそこにいる)。
「其中に物をも喰はず、素湯に粉薬を好み、乱れ髪なる太夫は誰(た)が子とも知れずとまつて、お腹(なか)をなやみといふ時」(『好色二代男』:このは妊娠していることを意味している。この表現は、世界には、蝶が舞うように、あるいは、小鳥が飛び行きかうように、魂が行きかい、妊娠するということ、新たな生命が生まれるということ、はその魂が、蝶が花にとまるように、その女にとまり、そこを居場所と決めたようなものということなのだろう。旅の途次のような状態の魂(たましひ)が「やどる(宿る:屋取る)」とおなじような表現)。
「『今までとまりはべるがいと憂きを………』とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ」(『源氏物語』:この「とまり」は、この世にあること、生きてきた・生きている、ことを言っている。これも前記『好色二代男』のように、そこにひとときとまって生が、人生が、ある)。
「廿九日。おほみなとにとまれり」(『土佐日記』:船がこの地で停泊したわけですが、ここで夜も過ごし、宿泊もしている)。