◎「とぼし(乏し)」(形シク)
「トバウをし(徒亡惜し)」。「徒(ト・いたづら)」な「亡(バウ:ほろび)」が惜(を)しい、とは、「徒亡」により、必要ななにかを無くしてしまい、「徒亡」してしまったことが惜しまれる、ということ。すなわち、消費するもの・していたもの、必要なもの、が不足している。あるいは、一般的必要性から考え、足りない。Aから見てBは「とぼしい」生活であったとしても、Bにおいてはその生活は「とぼしい」ものではないこともある。Aにおいて必要なものもBにおいては必要ないのです。
「Sǒco(ショーコ:庄庫(米蔵)?) munaxǔxite(ムナシューシテ:空しゅうして) ſaiguet(サイゲツ::歳月) toboxi(トボシ:乏し) ……………….
Cocoro(ココロ:心). Curani(クラニ:倉に) monoga(モノガ:物が) naqereba(ナケレバ:無ければ), ychinẽgiǔ(イチネンジュー:一年中) toboxǔ(トボシュー:乏しゅう) xite(シテ:して) curaxi(クラシ:暗し)」(『天草本金句集』:「金句(qincu)」は、諺(ことわざ)、や、戒言、のようなものであり、この書にはそれが書かれ、「cocoro(ココロ:心)」としてその注とでもいうものが添えられている)。
「よろつにとほしき物つゆなし」(『古本説話集』)。
「貧 トボシ 同乏」(『雑字類書』)。
「経験がとぼしい」。「その説明は説得力にとぼしい」。
◎「とほしろし」(形ク)
「とほしりおほし(遠領り多し)」。遠くへの影響力・作用力の浸透が成長的に増大している印象を表現する。
「…明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし(登保志呂之)…」(万324:川が彼方へと流れていっているわけです)。
「大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越(こし)と名に負へる 天離(うまざか)る 鄙(ひな)にしあれば(鄙(ひな)で):人々の関心が集まる都から遥か遠く離れた地で) 山高み 川とほしろし(登保之呂思) 野を広み 草こそ茂き…」 (万4011)。
「海神(わたつみ)乃(すなは)ち大(とほしろく)小之魚(ちひさきいをども)集(つど)へて逼(せ)め問(と)ふ」(『日本書紀』:この「とほしろく」は、集(つど)へ、を形容するものでしょう。彼方へまで影響を及ぼし魚を集めた。なぜ「小之魚(ちひさきいをども)」なのかというと、山幸彦が釣針で釣る程度の魚ということ)。
「又云匡房卿哥(歌)に しら雲とみゆるにしるしみよしののよしのの山のはなさかりかも これこそはよき哥(歌)の本とはおほえ(覚え)侍れ。させる秀句もなく かされる(飾れる)ことは(詞)もなけれと(ど) すかた(姿)うるはしく(麗しく)きよけ(清げ)にいひくたして(言ひ下して)たけたかく(長高く)とをしろき也。たとへはしろき色のことなるにほひもなけれともろもろの色にもすくれたるかことし(が如し)」(『無名抄』「俊恵定歌体事」:最後の部分は、「しろき」を「白き」と解しているのかもしれない)。