◎「とぶらひ」(動詞)
これは幾つかのものがある。以下の「とひ(問ひ・訪ひ)」にかんしてはすべてその項(10月27日)。
・「とひふれあひ(問ひ触れ合ひ)」。これは「こと(言・事)」を問(と)ふ。思念的ななにかを追跡しつつ相互に接触しあう、ということです。質問したり、問い詰めたりする。「こと(言・事)」には、日常的なことから、深刻なことまである。それが深刻なことであった場合、「とぶらひ」も深刻なこととなる。
「以譏弄妄理(妄理を以ちて)他(ひと)を詰(ハバ)メ責(トブラ)フ)」(『大乘阿毘逹磨雜集論 決擇分 法品 得品 論議品』:平安初期点)。
「俄(しばらく)ありて、蘇我臣(そがのおみ)、問訊(とぶら)ひて曰(い)はく『……………………當復(はた)何(なに)の咎(とが)ありてか茲(こ)の禍(わざはひ)を致(いた)す、今復(いままた)、何(なに)の術(みち)を用(も)てか國家(くに)を鎭(しづ)めむ』」(『日本書紀』)。
「詢 …トフ トフラフ」「訊 …トブラフ トフ」(『類聚名義抄』)。
「もゆる火を 何かと問へば たまほこの 道来る人の 泣く涙 〇霂尓落者(〇は雨冠に流:下記※) 白たへの 衣(ころも)ひづちて 立ち留(ど)まり 我に語らく なにしかも(何鴨) 本名言」(万230:「〇霂尓落者(〇は雨冠に流)」は、こさめ(小雨?)降(ふ)れば、といった読みがなされていますが、季節は「秋九月」と書かれている歌であり、「〇霂(〇は雨冠に流)」は、しぐれ、であり、「〇霂尓落者(〇は雨冠に流)」は、時雨(しぐれ)降るは(時雨(しぐれ)降るその人は)、でしょう。「本名言」は、もとなとぶらふ、や、もとないひ(言ひ)、と読まれていますが、もとなこといふ、でしょう。耐え難くことを言う、ということ)。
※ 〇の字は「𩄋」のつもりか。この雨冠の下の「洏(ジ)」は涙が流れることに関係している字。
・「とひふれあひ(訪ひ触れ合ひ)」。これは人(ひと)を訪(と)う。訪れ懇意にすることですが、なんとなく訪れるようなものから、ある人が死を予感させるほど重篤と聞き、心配のあまり訪れるようなものまで、いろいろである。間接的に、手紙を送ったり、贈り物をすることを「とぶらひ」ということもある。後世、音(オン)が退行し「とむらひ」になることもある。
「わかいほは(我が庵(いほ)は) みわ(三輪)の山もと こひしくは(恋ひしくば) とふらひきませ(とぶらひ来ませ) すきたてるかと(杉たてる門)」(『古今和歌集』)。
「ひるつかた、犬いみじうなくこゑのすれば、なぞの犬の(どういう犬が)かくひさしうなくにかあらん、と聞くに、よろづの犬とぶらひみにいく」(『枕草子』:この場合は、人をとぶらふのではなく、犬が犬をとぶらふ)。
「(源氏は)内裏よりまかでたまふ中宿(なかやどり)に、大弐の乳母(めのと)のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむ、とて、五条なる家尋ねておはしたり」(『源氏物語』:これは見舞)。
「訪 …トブラフ」(『類聚名義抄』:『類聚名義抄』の「訪」に、オトヅル、の読みは無い。「音」や「風」に、オトツル、がある)。
・「とひいみふれあひ(訪ひ忌み触れ合ひ)」。これは「とぶらひ」に忌(い)みが加わり、死者の霊をとふ(訪ふ)。弔問すること、死者を供養することです。これは「とむらひ」とも言う。
「昔、をとこ、やむごとなき女のもとに、なくなりにけるをとぶらふやうにていひやりける」(『伊勢物語』:相手の女が亡くなったかのような態(テイ)で恋文を送った)。
「やがて十二の歳尼になり奈良の法華寺に行ひ澄まして父母の後世をとぶらひ給ふぞ哀れなる」(『平家物語』)。
「Core uo totte xijŭnẽ cubi ni caqe,yamayama,teradera uo vogami megutte tomurai(トムライ) tatematçutta to,yŭtareba (これを取って四十年(しじゅうねん)首に掛け、山々、寺々を拝み巡って弔い奉った、と言うたれば)」(『天草本平家物語』)。
「吊 トフラフ」(『類聚名義抄』:「吊」は「弔」の俗字。つるす、の意味になるのは、釣(テウ)、と音(オン)が同じだから)。