◎「どぶ」
「どべひ(どべ樋)」。「べひ」が「ぶ」に変音した。「ひ(樋)」(その項)は水流になっている部分。方言に、最下等を意味する「どべ」がある。それによる、最下等のひどい「ひ(樋)」の意。「どべ」は「どろベン(泥便)」(泥糞:どろくそ)」でしょう。
「『ホイといひながら身を退(ひ)いて、除(よ)けやうとすると溝(どぶ)の端(はた)だから、馬陰溝(ばいんどぶ)の中へ落ち』『…………漸々(やうやう)二人で揚(あ)げは揚(あ)げたが、まづ始末の悪さ。馬陰色真青(まつさを)で、頸(あたま)から心(むね)へかけて反吐(へど)に染(そま)り…』」(「滑稽本」『浮世床』:「馬陰(バイン)」はある人物の俳名)。
◎「とぶさ(鳥総)」
「あとふふさ(後生総)」。語頭の「あ」は退行化し、「とふふさ」が「とぶさ」になった。「ふさ(総・房)」は何かがまとまり膨らんだ印象になっているそれですが、「あとふ(後生)」とは、なにかが無くなり、それが再生するような、それをひきつぐような、生(お)ひ(発生)、何かの「あと(跡・後)」たる生(お)ひ、です。具体的には、木の枝(えだ)。ではなぜ、この場合「え(枝)」や「えだ(枝)」と言わないのか。この「とぶさ」は樹木を伐採する際その伐採される樹木のそばに立てるものなのです。樹木を基準にしその根や幹を中心に考えた場合、「え(枝)」や「えだ(枝)」はその成長末端です。「あとふ(後生)」はその樹木から独立しその生を受け継ぐ生(お)ひなのです。それを樹木からとり、豊かな「ふさ」とし、地に植え、生命の継承と豊かな発展を祈りつつ樹木を伐採する。「あとふふさ(後生総)→とぶさ」はそれをもたらすものとして地に植えられる。古代ではそれを現場で小さな神事のようにおこないつつ、大きな木を伐採した。これは漢字表現で「鳥総」とも書きますが、これは、「とぐら(鳥座)」や「とや(鳥屋)」のように、「と」の一音で鳥を表現することにも影響されつつ、その生命の継承を権威をもって認定し得るのは樹木で生活する鳥(その生活)ということでしょう。
「とぶさ(鳥総)立て 足柄山(あしがらやま)に 船木(ふなき)伐(き)り 樹(き)に伐(き)り行きつ あたら船材(ふなき)を」(万391:船になる立派な木をありきたりなただの木として切ってしまったぞ。これは「譬喩(ヒユ)歌」として載せられているもの。つまり、なにごとかを暗に表現している。「足柄山(あしがらやま)」は神奈川県と静岡県の県境)。
「とぶさ(登夫佐)立て船木(ふなき)伐(き)るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神(かむ)びぞ」(万4026)。
「朶 トフサ エタ」(『色葉字類抄』)。