◎「とひ(問ひ・訪ひ)」(動詞)
「とゐをおひ(と居を追ひ)」と「とをおひ(とを追ひ)」の二種がある。「と」では思念的な確認・理性化があり(そこには何らかの思念内容・理性的内容があり)、「ゐ(居)」の動態、現実にそうある動態、にあるのは言語主体たるその人であり、「を」は、目的ではなく、状態を表現する。「おひ(追ひ)」はなにものかやなにごとかが目標・対象となりそれへと向かっていく動態になる。その場合、「と」の状態で追ふか「とゐ(と居)」の状態で追ふかは現実的にほとんど意味は変わらない(「とゐ(と居)」の方が現実感が表現され切実)。ほとんど意味は変わりませんが、なにがもっとも変わるかというと、「とゐをお」の場合は上代特殊仮名遣における「と」の表記が甲類になり、「とをお」の場合は乙類になる。しかし、どちらにしても思念化・理性化状態で追跡努力にあること、現存の思念化状態(現(ゲン)に在(あ)りの作用状態)で追跡努力にあること、が表現される。なにかの思念化・理性化とそうなったなにかへの目的他動動態が同時に起こっているということであり、この点が「とひ(問ひ・訪ひ)」の本質的な部分です。
「燃(も)ゆる火の火中(ほなか)に立ちてとひし(斗比斯)君(きみ)はも」(『古事記』歌謡25:「も」は詠嘆:燃え盛る火の中であなたは私の名を呼んでくださった:これは「とゐをおひ(と居を追ひ)」。あなたは私という思念にありそれを追跡した。「斗(と)」は甲類)。
「山高み下樋(したび)を走(わし)下(した)どひ(杼比)に我がとふ(登布)妹(いも)を…」(『古事記』歌謡79:ひたすら思っていた妹を…。:これは「とをおひ(とを追ひ)」。妹(いも)への思いにありそれを追跡した。「杼(ど)」「登(と)」は乙類)。
何らかの思念作用があったとしても、それにより追跡が生じるか否か、生じたとしてもそれはどのような追跡か、は人それぞれなわけでもあり、そもそもなぜそのような追跡が生じるのかは、知的生命体がなぜあるのかといった問題にもなるわけですが、ともかく追跡は起こり、この思念作用と追跡は物や人を確認したりそこから情報を収集したりといったことが起こり、疑問が起こりそれを伝え回答を探したり(問ひ)、現実に人に会いこれを確認したり(訪ひ)といったことも起こる(「あの人、最近どうしてるんだろう……」という思いもここで言う思念作用です。「なんで磁石ってくっつくんだ?」、これも思念作用です)。
「天地(あめつち)のいづれの神を祈らばか愛(うつく)し母にまた言(こと)とはむ(己等刀波牟)」(万4392:防人の歌。「刀(と)」は甲類)。
「大坂に 遇(あ)ふや娘子(をとめ)を 道とへば(斗閇婆) 直(ただ)には告(の)らず 當藝麻道(たぎまち)を告(の)る」(『古事記』歌謡78:「斗(と)」は甲類)。
「防人(さきもり)に行くは誰(た)が背ととふ(刀布)人を見るが羨(とも)しさもの思(も)ひもせず」(万4425:「ともし」は、うらやましい、私もそうありたい、ということ)。
「天若日子(あめのわかひこ)、久(ひさ)しく復奏(かへりごとまをさず)。また曷(いづ)れの神を遣(つか)はしてか、天若日子(あめのわかひこ)が淹(ひさしく)留(とど)まる所由(ゆゑ)を問(と)はむ」(『古事記』)。
「故(かれ)、天皇(すめらみこと)崩(かむあが)りましし後(のち)、天下(あめのした)治(し)らしめすべき王(みこ)無(な)かりき。是(ここ)に日繼(ひつぎ)知(し)らしめす王(みこ)を問(と)ふに…」(『古事記』:いろいろと情報を集め、王(みこ)を探した)。
「真木(まき)の於(うへ)に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜(よ)問(と)へ我が背」(万1659:原文(西本願寺本)の「於」が「うへ」と読まれていますが、真木のに於(お)いて、が、うへ、ということでしょう。この「とへ」は原文で「問」ですが、後世なら「訪」と書くでしょう。「ひくらしのなく山里のゆふくれは風よりほかにとふ人もなし」(『古今和歌集』))。
「然(しか)るに、是(こ)の御子(みこ)、八拳鬚(やつかひげ)心(むね)の前(さき)に至(いた)るまで、眞事(まこと)登波受(とはず) 此三字以音」「我(わ)が宮(みや)を天皇(すめらみこと)の御舍(みあらか)の如(ごと)修理(つくりをさ)めたまはば、御子(みこ)必(かな)らず眞事(まこと)登波牟(とはむ) 自登下三字以音」(『古事記』:「登(と)」は乙類:「事(こと)」は「言(こと)」であり、その理性的追跡は言語活動を意味しているということ)。
◎「とひ(樋)」
「とよひ(響樋)」。水の流れが響く「ひ(樋)」の意。「ひ(樋)」はその項。屋根の雨水を受けて流す装置を言う。「とゆ」「とよ」とも言う。
「濘 トヒ 土通 トヒ 土水見 同」(『温故知新書』)。
「雨樋(あまどひ)」。
◎「とび(鳶)」
「とほみゐ(遠見居)」。高空を巡り遠くを見ている印象の鳥。鳥の一種の名。
「乃(すなは)ち金色(こがね)の靈(あや)しき鵄(とび)有(あ)りて、飛(と)び來(きた)りて皇弓(みゆみ)の弭(はず)に止(と)まれり」(『日本書紀』)。
「鴟 ……一名鳶……和名土比…………喜食鼠而大目者也」(『和名類聚鈔』)。