◎「との(殿)」
「とおほのおほ(と大の大)」。「と」は思念的・想的になにかを確認する。「おほ(大)」は規模の増大が感じられること(その項)。「の」は現実完了的に何かを認める助詞のそれ。「とおほのおほ(と大の大)→との」とは、想的な大(おほ:規模)である大(おほ:規模)だ、ということ。つまり、現実にあると思えないような大きさ→とても大きい、ということ。これが、「あれはとのだ」といった言い方で、建造物を、人の居住建造物を、表現した。それは人が生活する建造物として信じられないくらい大きかったのです。そうした建造物は一人や数人ではなしえず、多くの人がそのために働く権威のある人が住んだ。「との(殿)」という言葉は元来は居住を中心にした利用を行う建造物(すなわち住居や邸宅)を意味した。のちにはその居住者たる主人を意味するようになる。人を意味することは平安時代には明瞭にある。「故姫君は、十ばかりにて 殿に後れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりしぞかし」(『源氏物語』:十才ほどで父に先立たれた)。「湯殿(ゆどの)」などのように、建造物を意味する「との」はもちろん平安時代にもある。『万葉集』にも人を意味しているような用い方の「との」はありますが、一般的とは思われない。東国の歌にそうした用い方があり、万3459「殿の若子(わくご):等能乃和久胡」、万3438「殿(との)の仲子(なかち):等能乃奈可知:「なかち」は長子・末子以外の子」などの「との」は人を象徴する建造物のような状態になっている。のちには「との(殿)」は人を意味するようになり、「~どの」と「~」に姓が入りつつ言われたりもするようになりますが、「~さま」より敬意は薄い。
「味酒(うまさけ) 三輪の殿の(等能々) 朝門(あさと)にも 出(い)でて行(ゆ)かな 三輪の殿門(等能渡)を」(『日本書紀』)。
「殿 …………和名止乃 宮殿名」(『和名類聚鈔』)。
「里(さと)の殿は、修理職(すりしき)、内匠寮(たくみづかさ)に宣旨くだりて、二(に)なう改め造らせ給ふ」(『源氏物語』:この「殿(との)」も建造物)。
「除目(ぢもく)に司(つかさ)得ぬ(司を得ない)人の家。今年は必ずと聞きて……………ほかより来たる者などぞ、『殿は何にかならせ給ひたる』など問ふに…」(『枕草子』:この「殿(との)」は、「ご主人様」とでもいうような、人の意)。
「ほのうち霧りたる朝(あした)の露もまだ落ちぬに、殿ありかせ給ひて、御随身召して…」(『紫式部日記』:ここで歩いているのは藤原道長)。
「『なう腹立(はらだち)や。殿(との)はどちへやつたぞ』」(「花子」『狂言記』この「との」は他の女のところで浮気している自分の夫(おっと))。

◎「とねり(舎人)」
「とのへり(殿縁)」。 「との(殿)」は建造物を意味し(その項)、「へり(縁)」(その項)はなにかの周辺域。「とのへり(殿縁)→とねり」は、建造物たる「殿(との)」の周囲にいる人、「殿(との)」の周囲を警備し守る人。その敷地の内側に入る人は「うどねり(うちとねり:内舎人)」と言った。外出の護衛もおこない、やがて関連した雑務(たとえば牛車や馬の管理・世話)なども行うようになる。
「白たへに 舎人よそひて」(万475)。
「数も知らず、いろいろに尽くしたる上達部の御馬、鞍、馬副(むまぞひ)、随身、小舎人童、次次の舎人などまで、整へ飾りたる見物、またなきさまなり」(『源氏物語』)。