◎「とね(利根)」(この語は以前「かつしか(葛飾)」の項で書きましたね。再記になります)
「ちほね(路骨)」。路(みち:目的性のあるをもった進行経路)の中心的・中枢的なもの、の意。関東の川の名。古代においては川はどこかへ行くための路(みち)だったということです。古代(江戸時代以前)の「とねがは(利根川)」は、後世のような、千葉県北端の関宿あたりから東端の銚子へ流れるようなものではなく、埼玉の栗橋あたりから東京湾へ流れていた。江戸時代初期に大規模な流域改変工事が行われた。その工事以前の、後世に言う江戸川(後記)あたりの川は平安時代ころ「ふとゐがは」とも呼ばれたらしい。これは「ふとおほひがは(太覆ひ川)」であろうか。力強く、人々がそれにより広範な地域へ行き広く世を覆う印象の川。「そのつとめて(早朝)、そこをたちて、しもつさ(下総)のくに(国)と、むさし(武蔵)とのさかひ(境)(千葉県と東京都の境)にてある ふとゐがは(ふとゐ川)といふがかみ(上)のせ(瀬)、まつさと(今の千葉県・松戸(まつど))のわたり(渡り)のつ(津)にとま(泊)りて」(『更級日記』:松戸あたりが「かみ(上)のせ(瀬)」ということはその下流が「ふとゐがは」だったということ)。
「利根(とね:刀禰)川の川瀬も知らず直(ただ)渡り波にあふのす逢へる君かも」(万3413:「のす」は「なす」の方言的変化。これは東国の歌。「波にあふなす」は、波にあったように、ということ。予想もしない大波にあったような出会いであったらしい)。
◎「かつしか(葛飾)」の語源
「かちゆしりか(徒歩ゆ領り処)」。「り」のR音は消えた。「ゆ」は経験・経過(ここでは手段・方法)を表現する助詞。「か(処)」は現在性・個別性のある場所を意味しますが→「か(処)」の項、「かちゆしりか(徒歩ゆ領り処)」は、徒歩で浸透できる現実感・個別感のある処(ところ)(がある域)という意味。古代、(関東の)江戸川 (この名はもちろん江戸時代以降です。関東では江戸時代初期から何度も大規模な流域変動工事があり、利根川・江戸川・中川あたりは大きく流れの様子が変わりました(下記※)) の場合、上陸が容易で、そうした地域が両岸に広がっていたのでしょう。その結果、江戸川の両側に広がる地域がそう呼ばれるようになった。古くは「かづしか」と濁音が一般的でした。関東の地域名。
「かづしか(可豆思加)の真間(まま:地名・千葉県市川市)の浦廻(うらみ)を漕ぐ舟の…」(万3349)。
※ ここで「江戸川」とは、(下流から言えば)現・千葉県市川市と東京都江戸川区の境から松戸→流山→野田の西辺から関宿の西辺を北上し利根川に合流する流れ。江戸時代以前、特に古代、には(この流れというわけではなく)このあたりの流れが「とねがは(利根川)」だったようです(つまり、上記の「ちほね(路骨)→とね」も後世における千葉県北端の関宿あたりから東端の銚子への流れを言っているわけではない)。

◎「とね(刀禰)」
「つよね(強音)」。「ね(音)」は声音(こわね)でもあり、影響力でもある。「つよね(強音)→とね」は、つよね(強音)の主体であり、強い影響力のある人。その昔、地方の有力者や中央でのある程度以上の官人を言った。
「王等(おほきみたち)・臣等(まへつきみたち)・百官人等(もものつかさびとたち)・倭(やまと)の国(くに)の六(む)つの御縣(みあがた)の刀禰(とね)・男女(をとこをみな)に至(いた)るまで…」(「祝詞」『広瀬大忌祭』)。