◎「となへ(唱へ)」(動詞)
「つよねはへ(強音延へ)」。「つよ(強)」(その項)は効果が昂進することを表現する。「ね(音)」は「こわね(声音)」であり、言語です。「はへ(延へ)」は「はひ(這ひ・延ひ)」の他動表現。「つよねはへ(強音這へ)→となへ」は、効果昂進的言語表現を環境情況化すること。
「時(とき)に陰神(めかみ)先(ま)づ唱(とな)へて曰(のたま)はく、「憙哉(あなうれしゑや)、可美少男(うましをとこ)に遇(あ)ひぬること」とのたまふ。少男、此(こ)をば烏等孤(をとこ)と云(い)ふ」(『日本書紀』)。
「山鳥の峰ろのはつをに鏡懸けとなふ(刀奈布)べみこそ汝(な)に寄そりけめ」(万3468:「~べみ」は、当然そうなると思い、の意(「べみ」の項)。「こそ~けめ(已然形)」は、~だからこそ~したのに…という逆説的な表現になる。「~によそり」という表現は「~」によって社会的な価値性が保障されること、それによって世に誇れるような存在になること→万199(この万199では、「よそり」ではなく、「よそひ」と読まれているが意味は同じようなもの)。「はつを(波都乎)」は、さまざまな解釈がなされているが、一般に意味は明確になっていない(後記)。問題は「となふ(刀奈布)」であり、一般にこれは「唱(とな)ふ」と解され、ここでは、祭でなにごとかを唱えること、と解され、唱える役になったからあなたと噂になった、といった解釈がなされている。しかし、これは別語の「となふ(並和ふ)」(→「となへ(並和へ)」の項)でしょう。意味は、並び一体化するような関係になること。「はつを(波都乎)」は、端(は)つ尾(を)。「つ」は所属の助詞であり、意味は、小さな切れ端でしかない尾(を)。「をろ」も、一般に、峰(を)ろ、と解される場合もありますが、尾(を)ろ。「ろ」は、など、のような意の東国方言(→「ろ」)。歌全体で言っていることは。(長いことで知られる)山鳥の尾なんかのはしくれに(我が姿を映す)鏡をかけ当然、並び和し一体になると見たからこそあなたによって世に誇れるようになれるとおもったのに…(末永くと思った私がばかだった。なんのあてにもならない期待をしてしまった))。
「TONAE,―ru,―ta, トナヘル, 唱, t.v. To say(言う), to recite(暗唱、朗詠する), to call name(名を呼ぶ). Nembuts(ネンブツヲ) wo(ヲ) ―, to recite prayers(祈りの文句を朗詠する). Na(ナ) wo(ヲ) Sadajiro(サダジロー) to(ト) ―, called his name Sadajiro(彼の名をサダジローと呼ぶ). Syn. SHŌSURU(ショースル(称する))」(『和英語林集成』)。
◎「となへ(並和へ)」(動詞)
「つをにあへ(蜻蛉尾に和へ)」。「に」は動態状態を表現する助詞になっているそれ。「つ(蜻蛉)」は蜻蛉(とんぼ)を意味する(→「とんばう(蜻蛉)」の項)。蜻蛉(とんぼ)の尾は節が並び揃った状態になっている(→「となり(隣)」の項参照)。「つをにあへ(蜻蛉尾に和へ)→となへ」は、その蜻蛉(とんぼ)の尾の節の状態のように、一体化し、の意。魂が並び一体化するような印象になるという意味で、殉死も意味する。
「殿上の名対面こそなほをかしけれ。………………足音どもしてくづれ出づるを、上の御局の東おもてにて、耳をとなへて聞くに…」(『枕草子』:耳を並べ一体化するように聞く)。
「講師たち、ことごとなし(大がかりに)、ただこの宮の御悩み(死期がせまる重篤)のよしを、かへすがへすも心をとなへ祈りまうす」(『栄花物語』)。
「殉 ………トナフ 死 コロス…シタカフ」(『類聚名義抄』)。