◎「とどめ(留め)」(動詞)
「てをにをとめ(「てを」にを止め)」。「て」は助詞のそれ。「~して」や「行きて」などのそれ。「~てを」の「を」は目的を表現しますがが、目的が表現されることによりその目的を希求していることが表現される。この場合、希求されているのは「~て」と表現される動態です。「「てを」に」は、そうした、動態を希求する動態で、ということ。そうした、動態を希求する動態にある動態を止めることが「てをにをとめ(「てを」にを止め)→とどめ」。「とめ(止め)」は進行させない努力をすること。すなわち、「とどめ」は、動態を希求する動態にある動態を進行させない努力をすること。たとえば、天候や海の状態に危険を予感し出航を予定していた船をその停泊地から出航させない。「浦に舟をとどめて(等杼米弖)」(万3624)。動態の希求は、人工的な予定ではなく、自然現象や人の自然な生態や生理現象であることもある。自然が希求しているような状態である。人の自然な生態や生理現象とは、たとえば涙が溢れ、流れること。ただし、この場合は、事実上、「涙をとどめ」という表現はまずない。この場合は「涙をとどめかね」といった表現になり、とどめることができず涙が溢れることが表現される。人の希求が、世間体を気にしたり他人(ひと)の思惑(おもわく)を気にしたりする人の希求が、自然の希求に敗北するわけです。自然現象では「病(やまひ:伝染病の流行)をとどめ」(下記『源氏物語』「若紫」)などがある。人の生理・生態では「心を注(とど)めて乱(みだる)ることなくして」(『金光明最勝王経』)や「耳とどめて」(『源氏物語』)などがある。他へ向かいそうな心をなにごとかにとどめたり、ふつう聞き逃し記憶に残らないようなことに注意をとどめ、聞き、おぼえている。
音(オン)にかんしては、清音の「ととめ」もあったかもしれない。
「玉の浦に 船をとどめて(等杼米弖)」(万3627)。
「焼太刀を砺波(となみ)の関に明日よりは守部遣り副(そ)へ君をととめむ(登等米牟)」(万4085)。
「去年の夏も(疫病の流行が)世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、(ある僧の加持祈祷はそれを)やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき」(『源氏物語』「若紫」)。
「思ふそら 安くあらねば 嘆かくを ととめ(等騰米)もかねて」(万4008:嘆きをとどめることはできず)。
「とどめえぬ(留不得)命にしあればしきたへの家ゆは出でて雲隠りにき」(万461:これはある尼僧が死んだ際の歌)。
「説経の講師は顔よき(が良い)。講師の顔をつとまもらへたるこそ(じっと見ていてこそ)、その説くことのたふとさもおぼゆれ。ひが目しつればふとわするるに(目をそらしているとふと説教を忘れ)、にくげなるは罪や得たらむとおぼゆ(いやなことに、罪を得たように思われる)。 このことはとどむべし(このことを言うのはこれくらいにしておこう)。すこし年などのよろしきほどは(それでもかまわないような年齢なら(私が罪のこわさをしらない若い年齢なら))、かやうの罪えがたのこと(罪を得ること)はかき出でけめ(書き出しただろうが)、今は(歳も行き)罪いとおそろし」(『枕草子』)。
「今日は、世を思ひ澄ましたる(現世を超越した)僧たちなどだに、涙もえとどめねば」(『源氏物語』)。
◎「とどめ(決着め)」(動詞)
「ととめ(と止め)」。「と」は心臓の鼓動音の擬音。これを止めること。すなわち致死させること。狩で獲物が手負いで捕獲された場合、致死させる。通常、「とどめを刺す」という。この場合は名詞ですが、「その鹿は景季(かげすえ)がとどめて候」(『曽我物語』:死を生じさせた)のように動詞化もし、動詞を、最終決着がつく、のような意味で用いたりもする。
「かくて、山より鹿ども多く追ひ下ろし、思ひ思ひにとどめて(しとめて)、御寮(れう:源頼朝)の御見参にぞ入れにける。畠山の六郎重保(しげやす)、弓手(ゆんで)馬手(めて)に相(あひ)付けて、鹿二頭(かしら)とどむ」(『曽我物語』)。<br/>
「殊更あはれに聞えしは、民部卿三位殿御局にてとどめたり」(『太平記』:哀(あは)れさにかんし、それですべて疑問は消えるほど三位殿御局の例が決定的だ)。
「実に日本一の不出来(ふでかし)彼(かれ)一人(いちにん)に止(とど)めたり」(『西洋道中膝栗毛』)。