「とをとにねおひ(「と」を「と」に音覆ひ)」。「と」は思念的(想的)になにかが確認される(理性化する)→「と(助)」の項。「とをとに」とは、その「と」が「と」になっている、思念・想たる「と」が、まさに思念・想たる「と」になっている、理想的な「と」(思念・想)がそこに現れている動態で、ということ。「を」は状態を表現し、「瀬を早み」(瀬の状態で早まり)のように「を+自動表現」になり、全体は、「と」の状態で(「と」を)、「と」の動態に(「と」に)「ねおふ(音覆ふ)」。「と」は「と」になり理想化した動態状態で音(ね)は全体化する→完全な調和が現れる、という意味になる。つまり、思念的・想的に理想が現実化し調和した全体が現れている、ということである。これは発生起源的には音(おと)に、音楽に、由来する表現かもしれない。この表現がものごとや思いや考えをも表現するようになる。自動・他動にかんしては、「おひ(覆ひ)」は動詞の本質として他へ働きかけるが、楽器が「とをとにねおひ(「と」を「と」に音覆ひ→ととのひ」と言った場合、(必要なさまざまな楽器がすべて揃い、という意味でも言われるが)それは、発する音調として調和のとれた完成した状態になっていることを意味し、自動表現の状態になり、「兵列をととのひ」などと言った場合、全体を兵列として調和のとれた状態にする他動的な表現になる。そして、他動表現は、活用語尾は外渉的にE音化し、「ととのへ」と言われるようになる。
「この琴どもはいかでつくりしぞ。手ふれで久しくなりにけるに声もしらまず、七つながら同じ声にはいかでととのひたるぞ」(『宇津保物語』)。
「御琴どもの調べども整ひはてて、かきあはせ給へるほど、いづれとなきなかに…」(『源氏物語』:琴の調(しらべ))。
「人がらも、あるべきかぎり整ひて、何ごともあらまほしく、足らひてものしたまひける」(『源氏物語』:人柄)。
「𠷈 …調人皃 率下人也 止止乃不 伊佐奈不又女志止奈不」(『新撰字鏡』:人員をととのふ)。「竊(ひそかに)六千(むちぢ)ノ兵(いくさ)ヲ発(おこ)シトトノヒ(等等乃比)、又(また)…」(『続日本紀』宣命:これは「等等乃比」を「ととのへ」と読んだりもしている。「六千(むちぢ)」は「むちつゐ(六千つ居)」ということで、六千人、ということか)。
「準備がととのふ」。
◎「ととのへ(整へ)」(動詞)
「ととのひ(整ひ)」(その項)の他動表現。
「大宮の内まで聞こゆ網引すと網子(あご:あみこ(網子))ととのふる(調流)海人(あま)の呼び声」(万238)。
「仏、経箱、帙簀(ぢす:経巻などを包むもの)のととのへ、まことの極楽思ひやらる」「心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音整へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く」(『源氏物語』)。