「てをでをこへをり(「~て」を」で、を凝へ居り)」。「「~て」を」は、「~」に動態が表現され、「~て」とその動態が完了的に経過していることが表現され、それを「を」により目標的に提示することによりその動態を希求し願望していることが表現され、つづく「で」は助詞であり、二番目の「を」は状態を表現し、その「「~て」を」で、「「~て」を」にて、「「~て」を」の状態で、凝(こ)の状態へ、情況が凝固し動かない状態へ、向かっている状態にあることが表現される(二番目の「を」は状態を表現し、「を+自動表現」により、瀬を早み(瀬の状態で早まり)、のように、「「~て」を」でを居(を)り、「「~て」を」で、の状態で居(を)り、という表現になっているということです)。全体は、「「てを」で」の状態で凝(こ)へ向かう状態にある、という表現になる。「「てを」で」の状態で凝(こ)へ向かう、とは、なにごとかを希求し願望する状態で凝(こ)になり動けない情況状態になる、ということです。動こうとしているが動けない、動けないが動こうとしている、というような状態です。

「…(妻は)好去(まさき)くて 早帰り来(こ)と ま袖(そで)もち 涙を拭(のご)ひ むせひつつ 言語(ことどひ)ひすれば (私は)群鳥(むらとり)の 出で立ちかてに とどこほり(等騰己保里) かへり見しつつ いや遠に 国を来離れ…」(万4398:「~かてに」はなにごとかに自己を維持できない状態にあること(「かてに」の項))。

「衣手(ころもで)に取りとどこほり(等騰己保里)泣く子にもまされる吾(われ)を置きていかにせむ」(万492)。

「大臣(おとど)は、思ひのままに、籠めたるところおはせぬ本性(言いたいことを内におさめておくことなどしない性格)に、いとど老いの御ひがみさへ添ひたまひにければ、何ごとにかはとどこほりたまはむ。ゆくゆくと、宮にも愁へきこえたまふ(宮に訴えた)」(『源氏物語』:「ゆくゆくと」は際限なく水が溢れでてくる状態のようであること)。

「おし拭(のご)ひ紛らはしたまふと思(おぼ)す涙の、やがてとどこほらずふり落つれば…」(『源氏物語』)。

「家賃の支払いがとどこほる」。