「ととへ(とと経)」。「と」と思念的に確認されたものやことの経過のあることが表現される。順接(ある経過がありそして)も逆接(ある経過がありしかし)もあり得る。
「廻鶻(クワイコツ)国とて夷(えびす)のこはき(手ごわい)国あり」(『徒然草』:「廻鶻(クワイコツ)国と言ひ」のような意味になる。つまり、「へ(経)」は記憶が経過する。「夷(えびす)」は未開蛮族のような意で言っている)。
「ほんに兄弟とて手を取りあうて寝てゐる」(「歌舞伎」『一心二河白道』:順接。兄弟だから。たとえば「兄弟とて憎み合い殺し合う者もいる」は逆接)。
「をとこもすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」(『土佐日記』:順接。そういう経過で…、が動機や理由の表現になる)。
「是(これ)おさん、いかに若いとて二人の子の親。結構なばかりみめではない」(『心中天網島』:逆接。見た目、という意味での「みめ(見目)」もありますが、この「みめ」は「身見栄(みみえ:身の印象の栄(は)え:印象は物的・肉体的なそれも言えば、社会的なそれも言う)」でしょう)。
「あやしの物なりとて、したしくなつけ侍(はべ)らんに、いかでかその徳を得ざらん。」(『伊曾保物語』:逆接)。