◎「とどき(届き)」(動詞)

「てをにとつき(「~てを」にと付き)」。「てをにつき(「~てを」に付き)→とづき」(その項・10月9日)に思念的に確認する(理性化する)「と」が入り表現が客観化しているわけです。その他、意味は、事実上、「とづき(届き)」と同じと言っていい(「とづき(届き)」の項参照)。

「京のたよりごとに文をやれど、とどかず。さはりがちにて返り事も見ず」(『発心集』)。

「『あゝ、そなたは届かぬ人じや』」(「狂言」『八句連歌』:ありたい(あるべき)希求状態にない人。そういう人を「不届(ふとど)き」という。そういう状態に行ってない場合「行き届きませんで。もうしわけございません」。希求に関しては「とづき(届き)」の項)。

「『大津絵の福禄寿を見たやうに、天(てんぢよこ:天井(テンジャウ))へとどきさうな天窓(あたま)ァして…』」(「滑稽本」『浮世風呂』:思いや考えの通達(「とづき(届き)」の項)が物の到達の表現になっている)。

 

◎「とどけ(届け)」(動詞)

「とどき(届き)」(その項)」の他動表現。「とどき(届き)」はその項。こうありたいと想うことに到達させる、希求に到達させる、希求を叶えさせる、のような意味になる(希求にかんしては「とづき(届き)」の項)。

「Todoqe(トドケ),uru(クル),eta(ケタ). Perseverar,ou continuar com algua cousa(粘り強くなにかを続ける).…………………¶ Yacusocuuo(ヤクソクヲ) todoquru(トドクル).  Comprior a promessat(約束を果たす)」(『日葡辞書』:その他、ここには「Govoqiteuo(ゴオキテヲ:御掟を) tamochi(タモチ) todoquru(トドクル)」 「Fumi(フミ) nadouo(ナドヲ) todoquru(トドクル)」という例文もある。「約束をとどくる(届くる)」は、約束内容をどこかへ持っていき知らせるわけではありません。約束を果たす、約束したことをなし遂げる、ということ)。

「始終をととくるは賢人ぞ」(『毛詩抄』)。

「神が願いをききとどけ」。

「此状どもそこそこへとどけてたもれ」(「浮世草子」『好色万金丹』)。

「市役所に婚姻届けを出す」。

「荷物を届ける」。