「てをにつき(「~てを」に付き)」。「て」は助詞のそれ。「~して」や「行きて」などのそれ。「~てを」の「を」は目的を表現しますが、目的が表現されることによりその目的を希求していることが表現される。この場合、希求されているのは「~て」と表現される動態です。「「てを」に」は、そうした、動態を希求する動態で、ということ。そうした、動態を希求する動態にある動態に同動した状態になることが「てをにつき(「てを」に付き)→とづき」。こうありたいと想うことに到達する、希求に到達する、希求が叶う、のような意味になる。「つき(付き)」の同動表現性にかんしては「つき(付き・着き)」(4月19日)の項。
この動詞は、直接に伝えることのできない人(A)に自分の思いや考えを伝えることから生まれているものでしょう。その場合、他の人(B)にその思いや考えを伝え、その人(B)が相手(A)のところへ行きそれを伝える。文字がもちいられるようになれば、何かにそれを書き、書かれたそれを(A)のところへもっていく。つまり、「~てを」の「~て」、希求するなにごとかの経過、は相手(A)が自分の思いや考えを知っている状態になっていることなわけです。そうした同動動態になることが「てをにつき(「~てを」に付き)→とづき」。この「とづき」が表現が客観化し「とどき(届き)」(その項)になる。
「衣粮(きものかて)無(な)きに緣(よ)りて、達(トツク)こと能(あた)はざることを憂(うれ)ふ」「博麻(はかま:人名)が計(はかりこと)の依(まま)に天朝(みかど)に通(トツク)こと得たり」(『日本書紀』(北野本)持統天皇四年十月:これは事情はよくわからないのですが、(博麻(はかま)を含め)虜(とりこ)五人が、上記の(B)のように、天皇(すめらみこと)に唐(もろこし)にかんするなにごとかを伝えようとしたが、衣粮(きものかて)がなくそれができず、博麻(はかま)が自分を売ってそれを実現させた、ということか。ここでは「達(タツ:通りぬける意)」「通(ツウ:障害なく通る意)」が「とづく」と読まれている。上記の同動動態になることが「とほる」だということ)。
「陸(くが)は駒(こま)の足の及ばむを限り、海は櫓櫂(ろかい)の届(とつ)がん程責行(せめゆく)べし」(『平家物語』)。
「届 トツク」(『色葉字類抄』)。
◎「とづけ(届け)」(動詞)
「とづき(届き)」(その項)」の他動表現。「とづき(届き)」はその項。こうありたいと想うことに到達させる、希求に到達させる、希求を叶えさせる、のような意になる。
「ツヰニ西方ノ浄土ニヲクリトツケントナリ(送り届けんとなり)」(『諸神本懐集』:浄土に人を送りとどける。つまり、希求を叶えさせる)。
「届 イタル トヅクル」(『倭玉篇』(京都大学にある三巻のもの))。