「とゐをつぎ(と居を継ぎ)」。「とゐ」は「つ」のような音になりそれと「を」により「と」になる。「と」は助詞にもなっているそれであり、思念的に(想の世界で)存在がある(→「と(助)」の項・9月7日)。「ゐ(居)」は存在・在(あ)り。「を」は、目的を、ではなく、状態を表現する(→「を(助)」の項)。「つぎ(継ぎ)」は持続や同動を表現しますが(→「つぎ(継ぎ・次ぎ)」の項・4月23日)、「後(あと)をつぎ」のような他動表現ではなく、自動表現(→「旅に去にし君しもつぎ(都藝)て夢に見ゆ我が片恋の繁ければかも」(万3929))。全体の意味は、「瀬を早み」(瀬の状態で早まり)のように、「とゐ(と居)」の状態で持続・同動し、ということですが、「とゐ(と居)」とは、思念的(想の世界での)存在であり、これは生命一般、人一般、自分にまで続く、起源のわからない先の代(よ:過去)に居た人一般、これから生まれるであろう子(こ)一般、どこまで続くかはわからない子孫一般、です。それと持続し同動化することが「とゐをつぎ(と居を継ぎ)→とつぎ」。その一般的生命が持続しそれと同動することにより新たな生命が生まれる。その一般的生命が持続しそれと同動することにより「とゐ(と居)」は現(うつつ)の居(ゐ)となり、通常の、普通の「ゐ(居)」となる。「とゐをつぎ(と居を継ぎ)→とつぎ」にはこれを保存すること、つまり、育てることも含まれる。それらは一人の人によっては起こらず、「め(雌・女)」たる人(ひと)と「を(雄・男)」たる人(ひと)とによって起こる。その「め」と「を」やその関係は、後世では「めをと(夫婦):め(女)を(男)ひと(人)→めをうと→めをと」や「フウフ(夫婦)」や「コンイン(婚姻)」と言われるようになり、そうした関係に入ることを「ケッコン(結婚)」と言うようになっていく。
「とつぐ」主体は、意味原意的には男と女の質的違いはないのですが、これは生命が生まれることが基本になっており、受胎・妊娠、出産するのは女であり、女にかんし言われることが中心になる。また、それは射精・受精を起こす性行為をともない、男における「とつぎ」はそれを行うことという印象が強くなり「婚 …トツギ(ク) ツルブ…クナク」(『類聚名義抄』:「婚」が「とつぎ」でもあり「つるび」(交接)でもある)とあったりする状態になる。
この語の語源は、「ほと(火処・陰)」(その項)という語にも影響され、「と」が女性性器を意味し、男性性器でこれを「接(つ)ぐ(つなぐ)」こと、と解し性的交接を意味するとする理解がそうとう一般的になっている。
「神いざなき・いざなみの命、妹妋(いもせ)二柱(ふたはしら)嫁継(とつ)ぎたまひて国の八十国・島の八十島を生みたまひ…」(『祝詞』「鎮火(ほしづめ)の祭」(『延喜式』巻八))。
「復(また)、妻妾(めをみな)有(あ)りて、夫(をうと(をっと))の爲(ため)に放(す)てらるる日、年(とし)を經(へ)し後(のち)、他(ひと)に適(とつ)ぐは恆(つね)の理(ことわり)なり」(『日本書紀』) 。
「『妾(やつこ)、性(ひととなり)交接(とつぎ)の道(みち)を欲(おもは)ず……』」(『日本書紀』:この部分の少し前に、これを言った人の思いとして「夫婦(をふとめ:をっと・め)の道は古(いにしへ)も今(いま)も達(かよ)へる則(のり)なり」とある。つまり、「交接(とつぎ)の道(みち)」とは「夫婦(をふとめ:をっと・め)の道」) 。
「娶 …ヨメトリ トツギ(ク)」「嫁 …ヨメ トツギ(ク)」(『類聚名義抄』)。