◎「とちり」(動詞)
「トツいり(訥入り)」。「訥(トツ)」は言語活動につかえたような障害が起こったりそれが滞ったりすること。「~いり(~入り)」は、驚き入り、のように、まったくその状態になること。「トツいり(訥入り)→とちり」は、人の動態がそうした「訥(トツ)」の状態になってしまうことですが、もともとは台詞や演技がそのような状態になることを表現した芝居用語(演劇用語)でしょう。
「誰か絶句してとちつた」(「洒落本」『間似合早粋(まにあひはやすい)』)。
◎「とぢめ(閉じめ)」(動詞)
名詞「とぢめ(閉ぢ目)」の動詞化。「とぢ(閉ぢ)」はあるものやことを、それを内(うち)としたその外(そと)とかかわりのない状態にすることですが、「め(目)」はそうした効果を生じさせている印象に残る重要な部分を表現する。すなわち「とぢめ(閉ぢ目)」は「閉ぢ」として印象に残る何か。動詞「とぢめ」は、それを現実化する効果のあることをすること。閉ぢ目をつけること。意味は、ことをし終える、完了する、さらには、人の生としてそうなる、すなわち、死ぬ、を意味する。ことを仕遂げることは、仕事をはたす→勤務する、という意味にもなる。作業の終了部分(とくに、裁縫の縫い終わり)、ものごとに決着をつけたりなしとげたりする処分、処理、などを意味する「とぢめ」という名詞もある。
「師走の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、まして晴るる世なき、中宮の御心のうちなり」(『源氏物語』:師走(しはす)は一年の「とぢめ」ということ)。
「『…よきほどに、かくて閉ぢめてむ(おだやかにうまくけりがつけば…)』と思ふものから、ただならず、ながめがちなり」(『源氏物語』:「ものから」は、ものながら、とほとんど意味は変わらない)。
「『重き病者の、にはかにとぢめつるさま(臨終になりそうな様子)なりつるを…』」(『源氏物語』)。
「十四五年彼の役御閉目候間」(『上井覚兼日記(天正二年八月十七日)』)。