◎「とだえ(途絶え)」(動詞)

「てをたえ(「て…」を絶え)」。「て」は、「行って…」や「そして…」にあるような、助詞の「て」。その「て…」の事態、事象が連動・連続する事態、にあることを表現する。「を」は、目的ではなく、状態を表現する(→「を(助)」の項)。状態を表現する「を」に自動表現、という表現では「瀬を早み…」(瀬の状態で早まり)という表現がよく知られるわけですが、この場合の「たえ(絶え)」(その項)も自動表現であり、「てをたえ(「て…」を絶え)→とだえ」は、事態、事象が連動・連続する事態で喪失し、という意味になる。意味は「とぎれ(途切れ)」に似ている。事態、事象が連動・連続する事態が喪失しているのであり、事態、事象自体が一般的に絶滅し喪失しているわけではない。たとえば、「連絡がとだえ」は、通報自体、情報を伝えること自体が一般的に可能性がなくなっているわけでない。

「『……』など、いよいよ心づかひせらるるにも、久しくとだえたまはむことは、いともの恐ろしかるべくおぼえたまへば」(『源氏物語』:来訪がながくとだえることがいともの恐ろしかるべく思われた)。

「いかなれは(どうして) とたえそめけむ あまの川 あふせにわたす かささきの橋」(『詞花和歌集』:逢瀬にわたす鵲(かささぎ)の橋はなぜとだえることがあるのだ、のような歌。「かささぎ(鵲)」にかんしてはその項・2021年2月17日)。

 

◎「とだる」

「とよとたる(豊と足る)」。すべてが豊かに、際限なく満ち足りている、の意。『古事記』にある表現。

「唯(ただ)僕(あ)が住所(すみか)をば、天つ神の御子の天津日繼(あまつひつぎ)知らしめす登陀流(とだる) 此三字以音(此の三字音(オン)を以て)下效此(下は此れに效(なら)へ) 天之御巢(あめのみす)如(な)して、底(そこ)つ石根(いはね)に宮柱(みやばしら)布斗斯理(ふとしり) 此四字以音…」(『古事記』:神の生活施設を「す(巣)」と表現していることも注意)。