◎「とし(年・齢)」

「とほし(通し)」。四季の巡りの一通し。「とほし(通し)」はその思念化状態での追跡努力経過を喪失させること、その経過を失効化・無意味化させる(その経過をないものとする)こと(その項)ですが、ある一定の日の経過がその思念化状態での追跡努力経過が経過をないものとなる、とは、その経過が、全体が同質の一(イチ)の経過になるということであり、その一(イチ)になった経過が「とほし(通し)→とし」。四季のめぐりであれ日の出る位置の移動であれ、環境的に同じことが繰り返しめぐっているということは遠い古代から経験しているでしょう。「とほし(通し)」という言葉以前には「とし(年)」はなかったということであるが、それ以前には、四季の巡りは「は(葉)」と呼ばれていたでしょう(→「はは(母)」の項)。「とし(年)」は一定の日の経過ですが、これが植物の生育と実り、特に、稲のそれ、を意味しもした。また、人の生育も意味し、「とし(齢)」は年齢(生まれてから何年か)も意味する。

「…あらたまの 年(とし:登斯)が来経(きふ)れば あらたまの 月(つき)は来経(きへ)ゆく…」(『古事記』歌謡)。

「み立たしの(亡くなった草壁皇子がお立ちになった)島をも家と棲む鳥も荒びな行きそ年かはるまで」(万180:これは皇子をしのぶ歌。「荒びな」は、荒涼感を感じさせる疎遠な感じになるな、ということ)。

「我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも年(とし:登思)は栄えむ」(万4124:「としが栄える」は、実りが豊かであること)。

「皇神等(すめがみたち)の依(よ)さし奉(まつら)む奥津御年(おきつみとし)を、手肱(たなひぢ)に水沫(みなわ)盡垂り、向股(むかもも)に泥(ひぢ)盡寄せて、取作(とりつくら)む奥津御年(おきつみとし)を、八束穂(やつかほ)の伊加志穂(いかしほ)に、皇神等(すめがみたち)の依(よ)さし奉(まつら)ば…」(『祝詞』「祈年祭」:「盡(尽)垂り」「盡(尽)寄せ」は、九條家本では「畫(画)垂り」「畫(画)寄せ」、卜部の兼永自筆本では「盡(尽)垂り」「盡(尽)寄せ」。「手肱(たなひぢ)に水沫(みなわ)画(かき)垂(た)り、向股(むかもも)に泥(ひぢ)画(かき)寄(よ)せ」は、肘や股に水や泥がつき、という意味なのかもしれませんが、田の作業でそれが特別な努力として言われることは奇妙でしょう。これは「手肱(たなひぢ)に水沫(みなわ)尽(つき)垂(た)り、向股(むかもも)に泥(ひぢ)尽(つき)寄(よ)せ」(水が垂れたなどという言葉では表現できないほどそれは垂れ、泥が寄せたなどという言葉では表現できないほどそれは寄せ、それにまみれ)、ということ。全体の表現は、「とし」が時間を表現している。皇神等(すめがみたち)が経過させてくださった時間を、水にまみれ、泥にまみれ、とり、つくる努力をしたその時間を、皇神等(すめがみたち)は、(その努力を認めてくださり) 八束穂(やつかほ)の伊加志穂(いかしほ)に、豊かな力づよい実りにしてくださり…、ということであり。その力を敬い、感謝の思いをあらわすため、実りを神に供え…ということで「にひなめ・にひなへ(新嘗)」がある)。

「凡(およ)そこの神倭伊波禮毘古(かむやまといはれびこ)天皇の御年(みとし)、壹佰(ももちまり)參拾(みそぢまり)漆歳(ななとせ)…」(『古事記』:137歳ということ)。

 

◎「としのは」

「としのは(年の葉)」。「は(葉)」は時間や歳月を表現しますが(→「はは(母)」の項)、それは木の葉でもあり、「としのは(年の葉)」は、年年に現れる葉という意味で、「毎年」を意味する。また、その積み重ねという意味で「としのは(年の葉)」「としは(年葉)」は年齢を意味する。「年の端」(年の始め)という意味の「としのは」という言葉もある。「としはも行かない子」は、齢(とし)の始まりにもなっていない子、という表現は不自然であり、さほど年齢を重ねていない子、という意味でしょう。

「毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥(ほととぎす)聞けば偲(しの)はく逢はぬ日を多み 毎年謂之 等之乃波(としのは)」(万4168)。

「君(きみ)がため 野辺の白雪 うちはらひ いやとしのはを 摘む若菜かな」(『夫木抄』:年齢の意味の「としのは」と若葉の意味の「としのは」がかかっている)。

「春の始の心ならば 年こえて 春立て 年のは 氷とけて」(『連珠合壁集』:これは「年の端(年のはじめ)」)。