◎「ところ(所)」

「とこうらよ(床裏世)」。「とこ(床)」(9月25日)は、眠っている局地点や(横たわっていようと坐していようと)そのための用具ですが、ここで眠っているのは死者です(そこは土が盛られなどし、視覚的にも特異点になるでしょう)。「うら(裏)」(2020年7月19日)は、後世では、なにかの表(おもて)と裏(うら)という言い方が一般的になりますが、原意は、表面たる現れのその奥、のような意味であり、人の内的経過、その心や心情が「うら」と言われたりもする。「よ(世)」は世界。すなわち、「とこうらよ(床裏世)→ところ」は、原意は、死者が眠るそこの現れのその奥の世界、のような意味になり、この表現が、ある特定的な魂のある位置点のような意味になる。そしてこの表現が、ある個別的特定的な人の魂だけではなく、人の魂、ものの魂、ことの魂(つまり意味)も意味するようになる。ものの魂の「もの」には環境一般の物的世界も含まれ、その「ある特定的な魂のある位置点」は空間のある意味をもってある位置点を意味する→「その店はあの角をまがって少し行ったところにある」。ことの「ある特定的な魂のある位置点」はことのある意味をもってある位置点を意味する→「そこのところ、よろしく」。古くは、「ある特定的な魂のある位置点」が人を意味したりもした(これは、魂としての尊重性をもって、そして、個別性なく、ただ人があることを表現しつつ、人を表現する)→「女皇女(みこ)たち二ところ、この御腹におはしませど」(『源氏物語』:二人いたということ)。

「陵 トコロ」(『新撰字鏡』:「陵」は『説文』に「大𨸏也」とされる字であり、「𨸏」は「阜」の本字であり、「阜」は「土山」(土が盛られているそこ)と書かれるような字であり、「陵墓」という語もあるような字。それが「トコロ」)。

「㙺(意味は、盛り土) ニハ トコロ」「𭐀(異体字、壇) …ニハ トコロ」(『類聚名義抄』)。

「天ヨリ蓮花フレリ。ハナノヒロサ三尺ハカリ也。地ニフリツメルコト四尺ハカリ也。コノ所ニミチミチタリ。アクル朝(あした)、天皇ミ見給ヒテ…、ソノ地ニ寺ヲ立テシメ給フ…」(『三宝絵詞』)。

「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり」(『古事記』:この「處(ところ)」は身体(ただし神)のある局部分域)。

「あやまちは、やすき所、必ず仕ることに候」(『徒然草』:これは作業の局部分域)。

「(その人の性格や人間性に)わが力入りをし直しひきつくろふべき所なく…」(『源氏物語』:人間性の特性部分域)。

「まつ人ある所に、夜すこしふけて、忍びやかに門(かど)たたけば…」(『枕草子』:生活の特性部分域)。

「『此れは何(いか)なる者の此(かく)ては候ふぞ。見れば、物食ふ所有とも見えず。若し、絶入なば、寺に穢出来なむとす。誰を師とは為ぞ』と問へば、男の云く、『我れ、貧き身也。誰を師とせむ。只、観音を憑奉て有る也。更に物食ふ所無し』と」(『今昔物語』:この「所(ところ)」は、場所ではなく、局特性たる様子(最初の、所)や状態(二番目の、所)。つまり、「物食ふ所」は、物食う場所、という意味ではない)。

「たてこめたる所の戸、すなはちただ開きに開きぬ」(『竹取物語』:特定的なことの魂(上記)が「たてこめたる」により限定されているということですが、「事所感動」(感じ動かされること→感動すること)のような、漢文の「所」による受け身表現の影響によってもこうした表現は広がった→「此御陣後は深山にて前は大河也。敵若寄来らば、好む所の取手なるべし」(『太平記』))。

・「ところせし」

「ところせし」は、「ところ」が、すなわち、ある特定的な魂のある位置点域(上記)が、あるAにとって、障害感がある(狭い)、ということなのですが、Aの特性がそこでは自由を得られないようなものであることを表現する場合もあれば、Aによつて、不自由であることが表現される場合もある。

「うち笑み給へる御愛敬(あいぎやう)、所せきまでこぼれぬべし」(『源氏物語』:その環境におさまらず溢れるほど)。

「なかなか、世にぬけ出でぬる人の御あたりは、所せきこと多くなむ」(『源氏物語』:いろいろと自由のきかない煩わしいことが多いだろう)。

「訪(とぶら)らふべきを、わざとものせむも所せし。かかるついでに、入りて消息(せうそく)せよ」(『源氏物語』:わざわざ行くのも堅苦しい)。

・「ところせきなし」

「ところせきなし」の「なし」は「無し」ではなく「になし(似無し)」(似たものがない。非常に~だ、の意)。つまり、「ところせきなし」は「非常にところせしだ」の意。

「諸人の有様を見るに、此広き野山まで、所せきなく、小提(こさげ)開くべき方もなし」(『好色二代男』:「小提(こさげ)」は携行用重ね重箱。人が密集するように多数いる)。

・「ところで」「ところが」

「ところで」「ところが」は、この場合の、ある特定的な魂のある位置点(上記)、の、特定的な魂、はことの魂であり、言語主体の今の現状たるそれ。「ところで」は、その現状にありその経過で、の意。順接も逆接もありうる。「ところが」は、「が」は逆接が言語生活慣行としての定着が強い(→「が(助)」の項)。

「『あれは余所(よそ)の奉公人。なぜくはした(なぜ鞭をくらわせた)』『オゝ汝(わ)が女房ぢや所でくらはした』」(「浄瑠璃」『丹波与作待夜の小室節』:順接)。

「コナタヘハマイリ候マイト云ソ。處デ三度マデ行レタゾ」(『蒙求抄』:一けして行かないと言うが三度も行った。逆接)。

「充分説明したところで彼にはわからない」(逆接)。

話初めに言う「ところで」は順接。

「『…若者(わけへし)、先刻(さつき)預けた脇差を一寸(ちよつと)爰(ここ)へ持つて来て貰ひてへ、直(ぢき)に帰(け)へす、ト云つた所が、若者(わかいもの)が、イエどうも脇差を二階へ上(あげ)る事はなりませぬ。…』」(『浮世床』:これは「ところが」の例)。

話初めに言う「ところが」は逆接。

 

◎「ところづら」

これは『古事記』の歌謡35にある語であり、「ところづら(処面)」。「ところ(処)」は埋葬地を意味する(→「ところ(所)」の項)。その埋葬地の表面。この表現は日本武尊(やまとたけるのみこと)が亡くなった際の『古事記』の歌にある。歌の全文は「那豆岐能多能(なづきのたの) 伊那賀良邇(いながらに) 伊那賀良爾(いながらに) 波比母登富呂(はひもとろふ) 登許呂豆良(ところづら)」。この歌にかんしては「いながら(稲幹)」の項(2020年2月6日)。