◎「とこ(常)」

「とほこ(遠凝)」。時間的・空間的に遠方感のある凝固感(つまり、動かない)を表現する。時間的遠方感のある凝固感とは永続感であり、空間的遠方感のある凝固感とは不動感である。すなわち「とほこ(遠凝)→とこ(常)」は永続で不動であることを表現する。

「とこしへ(永久)」、「とこよ(常世)」、「とこやみ(常闇)」、「とこをとめ(常乙女)」、「とこなつ(常夏)」その他。

◎「とこしへ(永久)」

「とこしへ(常し経)」。「とこ(常)」はその項。「し」はいわゆる副助詞の「し」(→「し(助)」の項・2022年8月27日)。「とこ(常)」が運命必然的である「へ(経)」(経過)、の意。つまり、「とこ(常)」に居ること。

「とこしへにきみにあへやも…」(『日本書紀』歌謡68)。

「時(とき)に百濟(くだら)の王(こきし)盟(ちか)ひて曰(まを)さく『……故(かれ)磐石(いは)に居(ゐ)て盟(ちか)ふことは長遠(とこしへ)にして朽(く)つまじといふことを示(しめ)す。是(ここ)を以(も)て、今(いま)より以後(のち)、千秋萬歲(ちあきよろづよ)に、絶(た)ゆること無(な)く窮(きはま)ること無(な)けむ……』」(『日本書紀』)。

◎「とこよ(常世)」

「とこよ(常世)」。「とこ(常)」「よ(世)」はその項。永遠普遍の世。誰もが生まれる前にそこにいて死ぬとそこへ帰って行く。

「天皇(すめらみこと)田道間守(たぢまもり)に命(みことおほ)せて、常世國(とこよのくに)に遣(つかは)して、非時香菓(ときじくのかくのみ)を求(もと)めしむ。香菓 此(これ)をば箇倶能未(かくのみ)と云(い)ふ。今(いま)橘(たちばな)と謂(い)ふは是(これ)なり」(『日本書紀』)。

「常世(とこよ:常呼)にと 我が行かなくに(常世にいくわけでもないのに) 小金門(をかなと)に(旅立ちの別れのとき門で) もの悲しらに 思へりし 我が子の刀自(とじ)を…」(万723)。

◎「とこなつ(常夏)」

延々と続く暑さを「とこよなつ(常世夏)」と表現したもの。これが続く暑さや続く夏を表現した。「立山(たちやま)にとこなつに(等許奈都爾)雪降りしきて」(万4000)。

 

◎「どこ(何処)」

→「ど(何)」の項(9月9日)。