「とおき(と置き)」。「と」は助詞にあるそれであり、思念的に何かが確認される(正確に言うと、思念が対象化する)。つまり思念化が起こる。この「おき(置き)」(その項)は自動表現(→「霜がおき(置き)」)。ものやことの存在感のあることを表現する(→「おき(置き)」の項)。「とき(時)」の場合はことの存在化が起こる。この「おき(置き)」は他動表現(→「本を置き)」)ではない。つまり、「とおき(と置き)→とき(時)」は、事象(ものごと)たる思念(記憶・想)の対象化(存在化)が起こること。たとえば「彼が行きしとき」は、「と」によってある思念の内容は過去。「彼が行くとき」は未来。つまり、それらが対象化(存在化)し、「とき」は、それによる対象化(存在化)は、過去にも未来にもなる語。先(さき)のことも後(のち)のことも「とき」になる。人は因果を思考し、原因と結果を知り、それは連続する流れとして把握され、「とき」はその変化と流れにもなる。その流れのなかで、ある「とき」がAの「とき」となれば、Aは「とき」を得る。そうならなくなれば、Aは「とき」を失う。ある「とき」が何らかの動態や事象の「とき」であることもある。たとえば「収穫のとき」「戦争のとき」。「とき」は、たとえば東の地平から日が昇り、空(そら)を移動し、西の地平に沈んでいく、事象変動たる環境変動の、ある特性の有る環境事象も表現する。その環境事象の「おき」には日を単位にして進行的に名がつけられ、それは「ジコク(時刻)」と呼ばれ、後には一日の長さを24に分け、「イチジ(一時)」「ニジ(二時)」「サンジ(三時)」…と数列で呼ぶことが一般的になるが、古くは、「子(ネ)」「丑(ウシ)」「寅(トラ)」…と十二支で呼んだり、江戸時代の庶民などは、日の出と日の入りを基準とし、日の有るときと無いときをそれぞれ六つに分け、「明け六つ」「暮れ六つ」などという言い方をしそれに従い生活していた(「九つ」や「六つ」などというのはその際に打ち鳴らす太鼓の打数(古代以来、太鼓を打ったり鐘を鳴らしたりすることで時刻を知らせていた)。「丑(うし)三つどき」などと言う場合の「三つ」は、一日を十二支でわけ(つまり、一支は二時間になり)、それぞれを四つにわけたその三つめ(「丑(うし)三つどき」は午前二時ころ))。日の出と日の入りを基準としたことは、それが生活の現実にとって便利だったから、ということであるが、江戸時代にも一日を数学的に二十四に分ける表現法もあった→「かゝる程に宵うち過ぎて。ね(子)の時ばかりに。家のあたりひるのあかさにも過て光たり」(『竹取物語』:「子(ネ)」の時(とき)、は夜中の十二時ころ。これは平安時代の話)。
「時 …トキ……ココニ…イマ」(「時(ジ)」の字は進行を意味するらしい)、「期 ……トキ……………カギル」、「朝 ………トキ アシタ」(「朝(テウ)」の字が、とき、とも読まれるのは、それが一日を意味するからだろう→一朝一夕)、「秋 …アキ トキ」(「秋(シウ)」は季節名だが、重要なときや危機のせまったとき(慎重な対応が必要なとき)を意味する。収穫の時だからということか)、「昔 …ムカシ トキ ツネ」、「刻 …キザム……トキ」(時の流れに単位をもうけ、その進行で時が進んでいくことが、きざむ、という印象になる)(以上すべて『類聚名義抄』:『類聚名義抄』の「言」に、「トフ」や「コト」のほか、「トキ」という読みがあるが、これは「説(と)き」か? しかし、「トク」という読みもある。「トギ(伽)」か?。「対(對)」に「トグ」という読みがある)。
「…秋去らば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ(等伎毛須疑) 月も経ぬれば…」(万3688:「息子が帰って来る」という想的ものごとたる思念のおき)。
「又、皇太子、初めて漏剋(ろこく)を造る。民をして時を知らしむ」(『日本書紀』斉明天皇六年五月:「漏剋(ろこく)」は容器に水を入れ、小穴から漏れ出る水の量で時刻を知るというもの)。
「あたりの寺の鐘がゴヲン。『女中、あれはなん時だへ』『もふ七ツでござります』」(『東海道中膝栗毛』:夕の七ツは日没前一~二時間。その定時での時刻は季節による日没時刻により変る)。
「いにしへの神の時より(時従)逢ひけらし今(いま)の心(こころ)も常(つね)念(おも)はれず」(万3290:神(かみ)の、と、おき、より。最後の部分は原文(西本願寺本)の書き変えなどもなされつつ他の読み方もなされる。原文は「今心文常不所念」。意味は、常に、いまここにあるという現(うつつ)の心さえなくなってしまっている、ということ。この歌は、ある男を好きになり、母親に『会うな』と言われた若い女が相手の男に送った歌)。
「豊作(なりはひ)の節(とき)、車駕(くるま)、未(いま)だ以(も)て動(ゆ)きたまふべからず」(『日本書紀』)。
「然れども、天の時未だ𮍣(いた)らずして…」(『古事記』:「天の時」は、定めや運命たるそのとき、のような意味になる)。
「高き家の子として、官爵(つかさかうぶり)心にかなひ、世の中さかりし、おごりならひぬれば、学問などに身を苦しめんことは、いと遠くなんおぼゆべかめる。たはぶれりかい(理解?)を好みて、心のままなる官爵にのぼりぬれば、時に従ふ世の人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、けしきとりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世おとろふる末には、人に軽めあなづらるるに、かかりどころなきことになんはべる」(『源氏物語』)。