◎「とがめ(咎め)」(動詞)
「とが(咎)」(その項)の動詞化。何かを「とが(咎)」とすること。他者を咎める場合は何かを「とが(咎)」とすることが表現されなければ相手には伝わらず「とがめ」にはならない。
「その大嘗(おほにへ)をきこしめす殿に屎(くそ)まり散らしき。故(かれ)、然(しか)為(す)れども天照大神は咎(とが)めずて告(の)りたまひしく…」(『古事記』)。
「あしひきの山にしをれば風流(みやび)なみ我がするわざをとがめ(害目)たまふな」(万721)。
「針袋帯び続けながら里ごとに照らさひ歩けど人もとがめず(登賀米授)」(万4130)。
・出来物や傷が化膿したり熱を帯びたりし症状の悪化が思われたりした場合、その出来物が「とがめ」たり、自分が悪かったかと気づき心が「とがめ」たりする自動表現がありますが、これは、名詞「とがめ」に過失、失敗、過(あやま)ちといった意味があり、「とがめ」が、身体や自己に何らかの過失や失敗があったことを表現する自動表現になっているもの。
◎「とがり(尖り)」(動詞)
「ときはやり(鋭牙逸り)」。鋭(するど)い牙(きば)の状態になることへ気持ちが逸(はや)つているようであること。ものやことがそうした印象であること。
「尖 …スルト(ド)ナり……トカル」(『類聚名義抄』)。
「火輪爲中鋒 端鋭(トカリ)て自ら相ひ合す」(『大日経(大毘盧遮那成佛神變加持經)』治安二(1022)年点)。