(「と(助詞)」の二回目。長いので二回にわけます)

◎接続助詞の「と」「とも」

「AとB」においてAもBもどちらも主語述語のある文であり(そういう場合、「と」は文法で、接続助詞、と言われますが)、たとえば「春が来ると彼は言ふ」と言った場合、「春が来る」は、通常、彼が言ったことの内容を表現する(1)でしょうけれど、「春が来る」が「彼は言ふ」の情況動態となる(2)表現も可能であり、その場合は、彼は春という季節になると、時期的にその季節に、言ふ(「わが背子を大和へやるとさ夜更けて…」(万105):「さ夜更ける」という情況動態が「わが背子を大和へやる」という情況動態となって現れる)。そのどちらの意味になるかは言われていることの内容やその事情によって決まる。これがたとえば「春が来ると彼は歌ふ」であれば、春という季節になると彼は歌う、と理解する人がほとんどでしょう。(1)の場合は上記「小鈴(こすず)落ちにきと宮人響(とよ)む」(『古事記』)や「『あなや』と言ひけれど」(『伊勢物語』)などと同じ用い方であり古くからありますが、(2)のような用い方が一般化するのは平安時代以降のようです。この(2)のような用い方も、M音の意思動態による「も」が入り「AともB」と言われ(この「とも」も文法では独立して、助詞、と言われる)、この「AともB」は、「…かしこくとも(玖賀(くが)媛(ひめ)を)吾(われ)やしなはむ」(『日本書紀』歌謡45:私のようなものがおそれおおいことではありますが、玖賀(くが)媛(ひめ)は私に養わさせてください)「…老いぬともまたをちかへり(若返り)君をし待たむ」(万3043)のように、一般にはそうではないと思われるかもしれないが、それでも、という、一般の、通常の思いや期待を裏切ることを表現した(現代なら「ても」→『そうは言っても(さは言ふとも)』)。「白珠(しらたま)は人に知らえず知らずともよし…」(万1018)。そうした、一般の期待や思いに反した、それを裏切るような、表現になぜ「も」が入るのかというと、この「も」は、「あれもこれも」のような、点加・累積の「も」ではなく、感嘆・感動の「も」であり、これが驚きや意外感を表現し一般の思いや期待の(「と」によって当然起こる一般の思いや期待の)裏切りを表現するということでしょう (「梅雨になると雨が降る」「梅雨になるとも雨が降らない」:意思・推想動態のM音によるこうした感嘆・感動の「も」は「見まく苦しも」(万229)といった表現にもあるわけですが、これは後世で言えば「まぁ…」のようなものであり、「(満開の桜を見て)まぁ、美しい」と感嘆を表現することもあれば、「(意外なことを聞かされて)まぁ…、ほんとう?」と意外なことへの驚きを表現することもある)。

・その「とも」の「も」が省略された、単に「と」による、上記の「とも」と同じ表現が現れる。

「藤壺『千年をかさねてきき給ふと、これよりはいかでか』との給ふ」(『宇津保物語』:「きき」は「効き」であり、効果を得る、効果を確認する、ということか。千年をかさねてきいても…)。

「然許(しかばかり)の智者にては(それほどの智者なら)、罵(の)ると咎(とが)むまじ」(『今昔物語』:罵った相手たる少僧が実は行基菩薩であり、それほどの智者なら咎(とが)めることなどないだろう、ということ)。

・そして通常の「A(文)とB(文)」たる表現が一般化する(この「と」は「A(文)、するとB(文)」の「する」が省略されたような「と」)。

「今にお肴が来ると一と口あげるよ」(『仮名文章娘節用』「人情本」)。

「かか様を悪ういふと叩くぞよ」(「歌舞伎」)。

「あそこを左にまがるとコンビニがある」。

 

◎ 接続助詞以外の「とも」もある。これは「と」に意思動態的なM音による「も」が加わっているものであり、一般的には「も」が感嘆・感動の「も」のような働きをする(たとえば「こんなに大きい」と「こんなにも大きい」の違いのようなもの)。

・「A(名詞)ともB(動詞)」「A(名詞)ともB(形容詞)」「A(動詞)ともB(形容詞)」

「山の狭(かひ)そことも見えず…」(万3924:A(名詞)ともB(動詞))。

「『新しき年ともいはずふるものは ふりぬる人の涙なりけり』」(『源氏物語』:A(名詞)ともB(動詞))。「新しき年ともいはず」とは、新しき年と思われ(言はれ)そうであるがそうは言はず(それは、「新しき年」ではなく、「経(ふ)る(古(ふる)年」であり)ということ。さらに、この歌は、降(ふ)り、と、古(ふ)り、がかかっている)。

「天離(あまざか)る鄙(ひな)とも著(しる)く…」(万4019:A(名詞)ともB(形容詞))。

「見るともなく見る」(A(動詞)ともB(形容詞))。

・繰り返し強調。「AともA」。Aは名詞であったり動詞であったり形容詞であったりする(形容詞の場合、たとえば「ゆゆしともゆゆし」)。

「太秦(うづまさ)は神とも神と聞こえ来る…」(『日本書紀』歌謡112:A名詞)。

「…みやまきのこりともこりぬかかるこひせし」(『後撰和歌集』:A動詞。「みやま」は、深山、と、見山(見た山)、がかかっているということか。「こり」は、伐り、と、懲り、がかかっている)。

この繰り返し強調の後半部の省略。「『其時分は定て私をもくはつと取立て被下(くださ)るゝで御ざらう』『ヲヽ、取立てやらう共』」(「狂言」『しどうはうがく(止動方角)』)。「『いいかな?』『いいとも』」。

・~とも~とも、と、選択的にものや動態をその選択の対象として確認的に提示する。この「も」は添加・累積(「あれもこれも」などの)。

「…立つとも居(う)とも 君(きみ)がまにまに」(万1912)。

・「と」が思念性・想念性作用一般を刺激しそれを表現する「とも」。

「ともあれ」。「ともすれば」。

「ともかくも」「ともかく」。